ふと思った。
他者から見た自分はどう映っているのだろう?
高校の同級生から見た私。「マイペースでちょっといいかげんなヤツ」かもしれない。
一緒に働いている後輩から見た私。反対に、「自分に厳しくきっちりしている人」かもしれない。
社会人駆け出しの頃に出会った人から見た私。それは「頼りない存在」だったに違いない。
仕事も脂に乗ってきた頃のお客様から見た私。それは「頼りになる存在」かもしれない。
母親から見た私。それは、いつまでも「心配な息子」かもしれない。
姉から見た私。それは、老人になっても「かわいい弟」なのかもしれない。
妻から見た私。いつも我が道を進むものだから、ついていくのが大変かもしれない…。
娘から見た私。最近、ちょっと薄毛が気になっているらしい…。
毎日散歩で出会う雀から見た私。「チュンチュン!(近づいてきたぞ、逃げろ!)」と言っているのかも。
毎日使うPCから見た私。ちょっと「しかめっ面」に映っているかも。
地球から見た私。
それは地球上に生息する50兆~100兆(?)ともいわれる生物の1個体に過ぎない。
そして、46億年とも言われる地球の歴史から見たら「閃光」みたいなものだ。
でも、自分から見た自分は、生から死までどんな時もずっと共にする「全て」だ。
誰よりも自分との付き合いが長い。
だからこそ、一つだけ感じることがある。
それは、「少しずつだけど毎日変化している」ということ。
「他者から見た自分」は様々に映る。一つとして同じではない。
だからこそ自分も気をつけたい。
「あの人はこういう人」
私も他者を知ったつもりになっていたが、それは一つの側面だけということ。
それにいつだって変化する。
だから、他者を決めつけるのはやめたい。
「今はこうだな」と感じるくらいがちょうどいい。
変化し続ける自分、他者。
だからこそ、変化を受け入れる“しなやかな心”で生きていきたい。