今から30年以上前の話ですが、筆者が子供の頃、プロ野球中継を見るのが好きでした。
当時は巨人ファンで、テレビにかじりついていました。
一方、ネットはなかったので、見逃してしまった時「結果はどうなったかな」と思っても、すぐに知る術はありません。
そういった点では、あきらめもつき気持ちの切り替えもうまくいっていたと思います。
禅寺に泊まりに行った時はなおさらです。
テレビは見れないので、目の前のことに気持ちを向ける他ありませんでした。
あれから30年。
「あれどうなったかな」
様々なスポーツの結果、好きな番組、YouTube、SNS、メール…、
何かを思い浮かべた時、私たちはネットを通じてすぐに知ることができる環境にいます。
我慢する必要がなくなりました。
筆者もこのコラムを作成しながら、「プロ野球クライマックスシリーズどうなったかな」と思い浮かべ、
仕事を中断し、すぐネットにアクセスしました。
YouTubeも自分の興味にあった動画がズラリと並び、息抜きについ見てしまいます。
気がついたら1時間過ぎてしまうことも…。
結果として、仕事が中断することが増え、1つの仕事を完了するのに明らかに時間がかかるようになったと感じます。
仕事は、頭を思い切り捻りますし、脳に負荷がかかります。時には単調な仕事もあります。
一方で、結果を見に行く瞬間、SNSやメールを開く瞬間、好きな動画にアクセスする瞬間などは、
頭は使いませんし「ちょっとしたドキドキ」があります。
だから、ついつい見に行ってしまいます。
これじゃいけない!と思って、ストップウォッチ片手に「集中してやろう!」と気合いを入れても、
「そういえば、あれどうなったかな」という衝動の前には無力です…。
こうして何かしら中断しながら、このコラムを書いています。
これはもう「ネット依存」と言うほかありません。
「依存行為」とは、「それが良くない」と分かっていても、衝動的に行ってしまう行為のことです。
おそらくこのような体験をしているのは、筆者だけではないはずです。
筆者も仕事柄、多くのアスリートと対話をしますが、
「夜、ついスマホを触って夜更かしをしてしまう。結果、パフォーマンスにも悪影響を与えてしまう。」という悩みを多く耳にします。
これも「ネット依存」と言えるでしょう。
仕事は、頼まれごと(=仕える事)に対して、なるべく短期間で質の高いアウトプット(成果)を出してこそ、
依頼者に価値を届けられ、信頼を得られます。
その結果として、貢献もでき、必要とされ、報酬も得られる幸せな人生を送ることができるのだと筆者は考えます。
「成果=能力×時間×集中」
とつくづく感じます。
かの有名な経営学者ピーター・ドラッカーは、著書「プロフェッショナルの条件」として記しています。
成果をあげる秘訣を一つだけあげるならば、それは「集中」である。
成果をあげる人は最も重要なことから始め、しかも一度に一つのことしかしない。
成果をあげる人は、多くのことをなさなければならないこと、しかも成果をあげなければならないことを知っている。
したがって自らの時間とエネルギー、組織の時間とエネルギーを一つのことに集中する。
最も重要なことを最初に行うべく集中する。
頭では「確かにその通りだよな…」とわかっていても、
「あれどうなったかなという衝動」と「それをすぐに解消できる環境」が、
私たちの「集中」の発揮を妨げています。
結果として、「社会から必要とされる人になる」ことからどんどん遠ざかってしまうように感じます。
究極の選択になりますが、
1.集中の発揮、他人から必要とされること、何かしら成果を出し対価を得られること
2.中断と衝動、自分の欲求をすぐ満たすこと、成果を出せず対価を得られないこと
読者のみなさまは、どちらの人生を歩みたいですか?
もし前者だとしたら、他者の助けを借りてでも、ネット依存という「現代の蟻地獄」から抜け出し、
一日のうちの「時間」と「集中」を取り戻す必要があると感じます。