【第61号】ダイバーシティはなぜ進まないのか?

「世の中、多様性の理解(ダイバーシティ)が大事」と言われてから久しくなりますが、
一向に理解が進んでいるようには感じません。

それどころか世の中を見渡してみると、差別・偏見・いじめ・他者への攻撃・言葉の暴力・同調圧力などがいたるところで起きていて、
ダイバーシティとは反対の方向に進んでいる気すらします。

ではなぜ、このようなことが起きてしまうのでしょうか?
今回のコラムでは、その謎に迫りたいと思います。

自分と似た価値観や考えを持っている人、似たような境遇にある人は、えてして気が合うものです。
こういう間柄は、危害を受ける心配もなく、自尊心も保たれます。
つまり、人間の持つ生存本能にも合致します。

同じであること、
似た者同士であることが、
お互いの心理的な安心感を満たすわけです。

例えば、話していたら「実は同じスポーツをやっていた」「同じ大学だった」「ハマっている趣味が一緒だった」「出身県が同じだった」「似た境遇だった」ということで、親近感が湧いた…という経験が誰しもあるはずです。

一方で、自分とは異質な人、自分と共通点を見いだせない人、違った価値観を持った人はどうでしょうか。

人間の持つ生存本能は、自分の身を脅かす「敵」とみなします。
「同じであること」「似ていること」が心地よいと感じる生存本能において、
「違うこと」「異質なこと」に、動物は居心地の悪さを感じるわけです。

そうなると、「取り除きたい」「遠ざけたい」「自分が優位に立ち安心したい」という気持ちになるのはごく自然です。

つまり、差別意識や偏見を持ったり、他人を攻撃しようとするのは「異常なこと」ではなく、「それが普通」とも言えます。


ただし、人間には「理性」があります。

異質なものを受容し尊重することで、人間社会全体が豊かな共同生活を送る…という、
「全体観に立った考え」を持つことができるのは人間だからこそでできることです。

かといって、「差別はいけない」「みんな仲良く平和に暮らそうよ」という考えそのものが、
「みんな同じ考えであるべき」という同調圧力を強いているとも言えます。
そして、「そうじゃない考えを持っている人」を排斥することで、また争いの火種ができてしまいます。

差別は、違いを知り、忌み嫌うことであります。
一方、多様性の理解は、違いを知り、受容することです。

差別と多様性の理解は「紙一重」です。

さらには、「多様性を理解する」とは、
自分(の考え)を否定してくる人ですら受容する(いったん受け止める)ことです。
(受容と同意は異なります)

「あなたはそう考えているんですね。ちなみに私はこう考えています。」とは、
相当理性の高い人でない限り言えません。

だから、いつのどの時代も「多様性の理解」というのは、なかなか進まないのです。

それでも人類は、「差別」や「争い」が起こす数々もの不幸を知っています。

「不幸になることを抑止したい」

それが多様性の理解への一歩とも言えます。

そのためにも「負の連鎖を自分で止める」という心のあり方が、一人ひとりにできる取り組みと思います。

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