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「人間は、常に半分の存在でしかない」
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筆者が肝に銘じている言葉です。
体で言えば、「胸やお腹」は肉眼で見えても、「背中」は見えません。
背中は、鏡や画像を通してのみ見られます。
人は、他人のことは客観的に見えますが、
自分のことを客観的に捉えることはなかなかできません。
人は、自分の立場で物事を考えたり行動するものですが、
他人の立場で物事を考えることはなかなかできません。
毎日の生活においても、長い人生においても、
どちらか一方を選択しなければならないことに直面します。
右へ行けば、左へは行けないし、
左へ行けば、右へは行けません。
このように、人間は「常に半分の存在」なので、
実は自分のこともはっきりとはわかっていません。
常に半分の存在なので、
「あとの半分」を補う必要があります。
はっきりわかろうとすれば、
自分の姿形を鏡に映し出さなければなりません。
ただし、鏡の役割は自分ではできないので、
他人の目に委ねることになります。
ところが、他人は気を悪くするであろうことは、
自分には語ってくれません。
ですので、自分のしていることがいつの間にか「正しい」と思い込むことが起こりえます。
ここに人生の「最大の罠」があります。
最近だと、ロシアのプーチン大統領を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
「自分は絶対正しい」と思っている人に、多くの人は何も言えません。
言ったらこちらに矛先が向くからです。
利害関係があったり、自分より立場が上の人を前にすればなおさらです。
一方、「自分は半分の存在」と心得ていれば、
他人からのフィードバックはむしろ「肥やし」になります。
それは、もう半分の自分を補ってくれるきっかけを与えてくれるからです。
「他人から見た自分はこう映っているんだ」
と客観的に捉えられます。
「他人の鏡」は、屈折したもの、色付きのもの、透き通ったもの様々です。
他人も「半分の存在」なので、絶対はありません。
ただ、どの意見も一理はあるものです。
そして既に「半分は見えている自分」と照らし合わせてみることで(Reflection)
見えないもう半分を補っていくことができます。
それが自身の気づきや成長、良好な人間関係の構築にもつながります。
一方、フィードバックする側も、自分の意見が「半分」であることを自覚し、
「あなたは〇〇です」という断定調ではなく、
「私には〇〇と映ります」と伝えると、決めつけではない客観的な伝え方ができます。