【第65号】紙一重

「国を興す賢い人」と「国を潰す賢い人」は紙一重 

そう言ったのは、かの松下幸之助さんです。
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平凡な人は、潰しも興しもしない。
賢い人は要注意。
賢いからようやってくれるけど、賢いから潰すかもしれんな。
賢いから危険。独断専行でやる。

違いは「私」にある。
ちょっと「私」が入ると大きな差が出る。
立派でも私心があったらダメ。
自分に言い聞かせている。会社は天下の預かりもの。
私心を消す。
消すと言っても私心は出てくる。
そういうこと。

会社のためにこうせんなと思うても、
自分のためにこうせんなというのが出てくる。
それではいかんと自分を打ち砕く。
でも打ち砕いた瞬間に自分が出てくる。
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そんな禅問答のような問いかけを、幸之助自身が行っていました。

この世の中のほぼすべての事象は、「紙一重」に置き換えられると思います。
以下、筆者なりに感じていることを列挙します。

●「執着心」と「ハングリーさ」は紙一重
いずれも「貪欲さ」を表す言葉です。
執着心は、手離したくない…という「守り」の気持ちが入ります。
一方で、ハングリーさには「攻め」の気持ちを感じます。

●「プライド(自尊心)」と「プライド(矜持)」は紙一重
この言葉も二面性を持っていると感じます。
例えば、「過去の栄光にすがる」というのは自分を優位に保ちたいというプライドです。
どこか自己保身的なものを感じさせます。
いわゆる「そんなプライドなんて捨てちまえ!」と言われるようなプライドです。
一方、「矜持(きょうじ)」のプライドは、「いくらお金を積まれてもこれだけは譲れない」という、
その人のアイデンティティに通じるところがあります。
いわゆる「人としてそれを失ったら終わり」と言われるようなプライドです。

●「頑固・意固地」と「信念」は紙一重
自分を貫くという意味では同じです。
違いは、貫くことに「大義があるかどうか」に思います。

●「思い込み」と「真実」は紙一重
「それが間違いないと本人が思う」という意味では同じです。
線引きは非常に難しいですが、「世の中の道理」に適っているかに違いがあるように思います。
人類史で言えば、「歴史」がそれを証明することになるでしょう。
ただ、その人類史ですら、伝え手の思い込みや作為が入っているのでやはり線引きは難しいです。

●「差別」と「多様性の理解」は紙一重
いずれも「自分と相手は違うことを認識する」という点では同じです。
違いは、それを排除しようとするか、違いを尊重して受容するかにあります。
これも本当に紙一重の差だと思います。

●「善」と「悪」は紙一重
「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉が象徴的です。
良かれと思ってやっていることが、実は人類に重大な悪影響を及ぼしうる…というものです。
「スマホ依存」が分かりやすい例です。
生活を良くするために開発した道具が、結果としてその人の時間や注意を奪ってしまい、生きる目的すら失わせることもあります。

「こうした方がもっと良くなる」「暮らしが良くなる」
文明の進歩とは、「人の持つ善意」がベースにあります。
ですが、結果として人や地球にダメージを与えていることもまた事実です。

「人類を滅ぼすのは、悪意よりも人の持つ善意にある」
一見信じられないかもしれませんが、逆説にこそ真理が含まれていると筆者は考えます。
ゆえに「善」と「悪」は紙一重だと感じます。

話は逸れますが、野生の動物を見れば分かる通り、「生きる」とは本来厳しいものです。
一方、厳しいからこそ生命も躍動するのだと感じます。

このように紙一重の例は枚挙に暇がありません。
大事なことは、「自分自身が紙一重の間(はざま)で揺れ動いている」ということを自覚することだと思います。

スポーツを見てもわかるとおり、拮抗した勝負ほど「紙一重」の差です。
野球にしても、紙一重の当たり所の差で凡退かホームランかに分かれます。

冒頭の松下幸之助さんの叙述にもあるとおり、
紙一重の差が、決定的な差を生む
という真実がそこにあります。
そのためにも、「紙一重」の違いを感じ取れる「繊細な感性」が備わっていることが大切なのは言うまでもありません。
「神は細部に宿る」と言われる理由がそこにあります。

おまけ:
「完璧主義」と「神は細部に宿る」も紙一重です。
完璧主義は、ある種の強迫観念を感じさせます。
神は細部に宿るという格言は、「誰も気づかないようなところに気づける」という感性に近いものを感じさせます。

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