「あの人は仕事(あるいはスポーツ・勉強)の能力は高いのに、ちょっと残念なところがあるんだよな」
みなさまの周りでそういう人はいませんか?
自分独自の視点で物事を深く考えたり、
誰よりも努力していたり、
センスや能力もあるのです。
ただ、残念な人は「聞く耳」を持っていません。
何か問題が起きると「自分は間違っていない」ことを前提に他責になる傾向にあります。
すると、周囲との衝突や対立が起き、孤立することになります。
結果、周囲との協業力を下げることになり、成果に悪影響を及ぼします。
ただ、当の本人は、
「自分はこれだけやっている。成果が出ないのは自分以外の何かに問題がある。」
そう思い込み、他人からのフィードバックを受け容れようとはしません。
だから、「残念」に思います。
自分のことが分かっているようで、分かっていません。
確かに、本人は勤勉な努力家で、日々自己研鑽に励んでいるかもしれません。
「自分とよく向き合っている」という点では「内的な自己認識力」は高いと言えます。
その一方で、「自分のことは自分が一番よく分かっている」と思い込むようになり、
「他者から見た自分」が盲点になります。
そこに大きな「罠」があります。
筆者も、以前このような傾向があったので、その心理状態がよく分かります。
他人から見た自分、つまり「外的な自己認識力」は低い状態です。
「内的な自己認識力」「外的な自己認識力」
この2つを兼ね備えてこそ、本当の「自己認識者」と言えます。
特に「外的な自己認識力」は大切と筆者は考えます。
想定外の反応や、耳の痛いフィードバックに対し、
自分の価値観、成功体験、考えを疑ってみて、時に自ら壊して、アップデートしていく力。
これが、「外的自己認識力」を高くする方法です。
ただし、これは簡単なことではありません。
価値観や成功体験を疑うことは、自分のアイデンティティを揺るがす行為でもあるからです。
「自分が正しい」と思い込んでいるほど、この行為は到底受け入れられません。
たとえば、ガリレオの「地動説」の話は有名ですが、
天動説が正しいと信じて疑わない教会の権威者たちが、
「天動説は間違っている。地動説が正しい。」と言われたらどう反応するでしょう?
自分たちの存在意義を揺るがす地動説を受け容れるはずがありません。
「自分たちが正しい」と思い込んでいる人たちに、自分を疑う力はもはやありませんし、フィードバックも届きません。
それほど、客観的に自分を認識することは難しいものです。
自身の生存本能や自尊心がそれを邪魔します。
まさに「良薬は口に苦し」です。
「自己認識」の第一人者、ターシャユリック博士は、
自分と向き合い、他者の意見もまずはニュートラルに聞く耳を持ち、時に自分を疑い自らをアップデートさせていく、
いわゆる「自己認識力が高い人」の特徴として、
・自信がある
・創造性がある
・適切な判断を下せる
・強い人間関係を築ける
・コミュニケーション能力が高い
・嘘をついたり、だましたり、盗んだりする可能性が低い
・パフォーマンスが優れ上達しやすい
・有能なリーダーであり、周囲の満足度は高い
・チームの成果にも貢献している
と挙げています。
根底にあるのは、「より善く生きよう」とする倫理観です。
人と組織の活性化に向け、
自己認識力、特に「外的な自己認識力」の向上は避けて通れない道のように感じます。
経営層などの上位層はなおさらです。
「実のある稲穂ほど垂れる首かな」
とは「自己認識者」を端的に言い表していると思います。
同じ一日が無いように、「自分という存在」は絶えず変化しています。
自分の異変や違和感を察知して、絶えず自己修正していく。
自己認識の旅に終わりはありません。