【第79号】カーナビ

カーナビに目的地を入力すると「到着予想時刻」が出ます。

「到着予想時刻を少しでも短縮させたい」

そう願うのは筆者だけでしょうか。
スイスイ車が流れて、時間がどんどん短くなっていくと小さな喜びを感じます。
そして、ついついアクセルも踏み込んでしまいます。

反対に、ノロノロ運転の車で列が連なったり、渋滞や信号などにつかまって到着予想時刻が刻々と遅くなると、ちょっとした苛立ちや焦りを感じます。

そんな筆者ではありますが、
ある日、カーナビにあえて目的地を入力しないで旅をしてみました。
迷ったり、道を間違ったりする可能性はあります。

ただどうでしょう。
実際走ってみたら、なんと快適だったことか!

到着予想時刻を気にせず走ることによって、
車窓から入ってくる風景を堪能でき、
ノロノロ運転の車にもいつもより苛立ず、
ちょっとした寄り道も楽しめました。


思うと、私たち現代人の多くは「カーナビ的な生き方」をしているように思います。

「いかに早く、最短ルートで目的地に到達するか?」

企業もスポーツの世界も、喰うか喰われるかの熾烈な競争。
筆者も例外ではありません。
長年の企業勤めで、知らぬ間にその論理に染まっていました。

「それがいけない」と言いたい訳ではありません。
目標を誰よりも早く達成することで、地位・名誉・報酬を手に入れられることは事実です。
周りからはもてはやされ、自尊心も満たされます。

一方、「副作用」があるのも事実です。

それは、先ほどのカーナビの例のように、
スピードや効率性を追求するあまり、
旅や仕事の醍醐味が見えず、
旅の道中や仕事のプロセスそのものを楽しめないこと。

そして、ノロノロ運転(←といっても法定速度通りに走っています)や自分より頭の回転が早くない人に苛立ち、
多様性を受け容れられない「自己中心的な視点」になってしまうこと。

さらには、別のルートの方が早かったんじゃないか…
誰か自分より先に行っているんじゃないか…
という「焦り」の気持ちが消えないことです。

 

筆者は20年以上社会人生活を送っていて、
「いかに、早く効率的に省エネで目的地に到達するか」という、
高速道路をずっと走っていたような気がします。

世の中のあらゆる事象はどんどん時間短縮され、加速度を増していますが、
筆者はいったん、途中のインターチェンジで降りようと思います。

それは、決して「逃げ」という感覚ではありません。
自分の道を切り拓く「マイ・ウェイ」の感覚です。
カーナビに頼らず、試行錯誤進んでいくことの方が、
思わぬ発見があったり、自ら切り拓いている感覚があるので、生きている実感はあります。

一人ひとりには、もともと「人生の羅針盤」が備わっているはずです。
自分の中にある羅針盤を頼りにして、カーナビへの依存は「ここぞ!」というときにするだけでも、
程よいバランスが保てるように思います。

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