【第90号】High Output ~後編~

誰しも多かれ少なかれ人生に「成果」という「果実」を実らせたいと願うものです。
では「高い成果(アウトプット)」を出すにはどうしたらいいのでしょうか?

キーワード「無我」です。

ここで言う「無我」とは、「無の心」になったり、一切の執着を無くすことではありません。
人間には「自我」が備わっている以上、それは不可能です。

たとえば、「1分間、何も思い浮かべず“無の心”になってください」と言われて「無」の心になれるでしょうか?
おそらく難しいはずです。
自分が飢えている時に、誰かにの食事を差し出すことができるでしょうか。

「無我」とは、「自分以外のところに“自我”を置く」ことです。

わかりやすく言うと、「自分以外の誰か(何か)を満たすことが、自分を満たすことにもつながる」と心底思える状態です。

自分を満たすだけの欲望が「小欲」とします。
(「少」欲は、欲が少ないこと。「小」欲は、自分だけを満たそうとすること。)

「獲得したいと思う欲」
「少しでもラクしたいと思う欲」
「自分の身を守ろう(失いたくない)と思う欲」

これらは「小欲」=「自我」でもあり、程度の差こそあれ全員が持っているものです。

一方、「世の中をなんとかしたい」という欲求であったり、
「誰かに喜んでもらいたい、助けたい」とすればするほど「大欲」となっていきます。

つまり、「自我」が「自分では無い」ところに向かうようになります。
すると、「自分を満たすだけの欲(=小欲)」には執着しなくなってきます。
(地位、名誉、肩書や金銭的報酬などは、二の次三の次になってきます)

たとえば、

誰かが喜んでくれる姿が自分にとっての幸せ。だから自分は働くし、腕を磨き続ける。」

と心底思い活動している人は、無我の境地にあります。
日清食品創業者の安藤百福さん、Panasonic創業者の松下幸之助さん、HONDA創業者の本田宗一郎さんなど…枚挙に暇がありません。

スポーツで言えば、夏の甲子園優勝校・仙台育英の須江監督のコメントが記憶に新しいです。
開口一番「東北のみなさん、おめでとうございます!」と言ったことが印象的でした。
優勝の一番の目的は「東北のため」だったのです。
コメントの端々から、須江監督の「無我」を感じました。

一方で「自分がやったんだ!」という「自我」や「小欲」がいけない…と言いたい訳ではありません。
ここで申し上げたいのは、「無我の境地」の方が「高い成果」が出やすいということです。

それは「いいことをやれば報われる」「自己中心的な人には天罰が下る」というようなスピリチュアルなものではなく、極めて合理的な理由からです。

たとえば、2019年ラグビーワールド杯日本代表を思い浮かべてみてください。
当時のチームは、「無我の境地」にあったように映ります。

それは、一人ひとりが心底から「ワールドカップでの成果を通じて、日本のラグビーを盛り上げたい!」と、自分以外のところに自我を置いていた点です。

そうなると、チームとして成果を出すために一人ひとりが役割を認識し、やるべきことに集中できます。
また、“自分のことは二の次”にできるので、自分が試合に出られるかどうかなどもどうでもよくなってきます。
ゆえに、ネガティブ感情になることも少なく、自分を見失うこともなくなります。目標に向かってただひたすら邁進できる訳です。
さらには、その欲求が強ければ強いほど「大欲」となって活動の大きなエネルギー源になります。
だから、高い成果が出やすくなるわけです。

「ONE TEAM」は、なろうとしてなったのではなく、
メンバーが「無我の境地」に達した結果、そうなったと筆者は考えます。

反対に、もし「W杯で活躍して海外市場でアピールしたい」「有名になりたい」という小欲の集団であれば、「試合に出る・出ない」「エゴのぶつかり合い」などで揉め事ばかり生まれたと思います。
こうなると、チームとして結束も生まれにくく成果が伴いにくいのは想像し易いと思います。

※ちなみに「無我」は、「使命感」とはちょっとニュアンスが違います。
「使命感」はどこか「我慢してやる」「正義感」的なものを感じさせますし、度が過ぎると「自分たちはこんなに努力をしているんだ」「正しいことをやっているんだ」という「分断」の温床ともなりかねません。

一方「無我」は、「自分以外のところに自我を置くことで、自分の欲を満たすこと」を中心に据えている点では、「自分のため」になります。
だから、恩着せがましさは感じさせませんし、努力の押し売りもしませんので、程よく肩の力が抜けている印象を受けます。


では、「無我の境地」に至るにはどうしたらいいのでしょうか?
(筆者自身、まだまだ「小欲の塊」でありますので、偉そうなことは言えませんが悪しからず…)

最初は小欲を満たすためにやっていたら、気がついたら誰かのためにやっている…ということは、よくある話です。
だから、ここでは「小欲が悪で、大欲が善」と申し上げるつもりはありません。

ただし、小欲だけに執着していると、負の連鎖から抜けきれないのも事実です。
(世の中のニュースの多くがそれを証明しています。)

反対に、「無我でいることで、結果として自分が満たされる」ことを実感できれば、徐々に潮目は変わってくるでしょう。
その実感は、分かち合う喜び、与える喜び、温かい気持ちになる、恵みへの感謝…などの形となって現れます。

そのためには、まずは何よりも自分の欲や感情に素直であること。
(自分の欲や感情にフタをして、他者に抑圧されたままでは、生きる力(自我)そのものが弱まります)
一方、「小欲」が行き過ぎたら、それを自覚し少しでも自制していくこと。
(小欲に無自覚なままでは、今のご時世、小欲がますます刺激され肥大化するばかりです)
そして、見返りを求めずに「小さな親切や思いやり」を実践していくこと。
(小欲まみれになった自分を洗っていく行為とも言えます)

そんな小さな積み重ねが「高い成果」へとつながっていくと、この年になってやっと実感するようになってきました。

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