【第92号】普通電車の旅

先日、思い立って、自宅(つくば)~札幌まで、「普通電車1人旅」をしました。

効率化、短縮化、高速化…の時代に、こんな旅をする輩はなかなかいないと思います。

行程は以下の通りです。

1日目 : 土浦 ~ いわき ~ 仙台 ~ 一関 ~ 盛岡
2日目 : 盛岡 ~ 八戸 ~ 青森 ~ 新青森 ~(青函トンネル通過につき、ここだけ新幹線)~ 新函館北斗 ~ 函館
3日目 : 函館 ~ 長万部 ~ 倶知安 ~ 札幌

3日間終えての感想、それは“苦行”だった…ということです。

座っているうちにお尻が痛くなってくる…。
特急列車に何回も抜かされる…。
乗り換えに2時間以上待つことも…。

ただ、もう一つ言えること、
それは「一生忘れない旅になった」ということです。

疲れた、辛い、苦労した…という実感。
たった1時間(新青森~新函館北斗)でも、新幹線に乗った時の感動。
「やっと着いた~!」という達成感。

そのすべてに「実感」がありました。

 

筆者も含めてですが、
現代に生きる人は「実感」に飢えているような気がします。
効率化、短縮化、高速化の「副作用」と思います。

今、CDなどのデジタル音源ではなく、レコードなどのアナログ音源が見直されていることも、
キャンプや釣りなどの「アウトドア」が流行っているのも、「実感への渇望」と無縁でないと思います。
「手書きの文章」が、なぜか新鮮に映るのは筆者だけでしょうか。

また、ひたむきにプレーする、汗をかく、涙する…
「高校野球」が多くの人々の心を掴むのも、「実感」を体現しているからと感じます。

中3の娘が、「高校では思いっきり青春したい!」と言っていました。

これも「実感」への欲求の表れとも言えるでしょう。

人間、本来はそういったエネルギーを誰しも持っていると思います。

ただ、そのエネルギーを「効率化、短縮化、高速化のベルトコンベヤー」に乗せてしまうと、
だんだんと、挑戦・冒険する意欲も薄れ、やがて何をするにも億劫になっていきます。

さらには、「感謝」「感動」「感激」などの「感」すら麻痺していく怖さがあります。
「感じられなくなっている人」が多くなってきていると感じるのは筆者だけでしょうか。
「満たされているのに、なぜか満たされない自分」がそこにはいます。

「実感」こそが、生きている証とも言えます。

こんな時代だからこそ、
あえて遠回りして、「実感」をゆっくり味わって、そして噛みしめてみてはいかがでしょう。

「満たされていないのに、なぜか満たされている自分」がそこにはいるはずです。

 

追伸 : なお、帰りは飛行機で、ビュンとひとっ飛びです…🛫

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