今回ご紹介する本は、「限りある時間の使い方」(オリバーバークマン著)です。
https://kanki-pub.co.jp/pub/book/details/9784761276157
これは、タイムマネジメントに関するハウツー本ではありません。
私たちの「時間の概念」に対する定説を覆すような内容の本です。
「なんだか最近、時間に追われているな…」
「余裕がない…というか、なぜか焦りみたいなものを感じる」
「心からやりたいことが見つからない…」
という方にぜひお薦めしたい一冊です。
この本は、私の「『時間』に対する誤った認識」に、大きな気づきを与えてくれる一冊となりました。
「誤った認識」とは以下のようなものです。
・少しでも時間をコントロールしたい(タイムマネジメント)。
・少しでも、仕事を短縮化・効率化したい。
・拘束された時間から解放され、少しでもラクになりたい。
・時間は限られている。だから、一つでも多くのことを経験・体験したい。
「え、これがなんで誤った認識なの?」
そう思われた読者の方も多いかもしれません。
なぜなら、多くの人もそう思っているからです。
著者自身「生産性の鬼」と言われるような人でした。
あらゆるツールや方法論を使いこなし、自身を自制して、徹底的に効率化を図ったそうです。
なのに、自身がラクになることは一向に訪れません。
まず、早く正確にこなせばこなすほど、どんどん仕事が舞い込んでくるようになりました。
それ自体は良いことですが、結果として高い生産性を求められ、時間に追われる日々を過ごしました。
一方、仕事を終えて一段落しても、なぜか「そわそわ」するのです。
「あれもやってない、これもやってない…。」
頭の中に、「未解決のタスク」がつい浮かんできてしまうのです。
ぼーっとしたり、じっとしていることに耐えられず、何かをしていないと気が済まない「焦り」の状態です。
さらには、タスクを処理する力は高まった一方、「本当に重要で時間がかかるような仕事」を目の前にしたとき、なかなか手を付けられず、つい、どうでもいいサイトの閲覧や、すぐ終わるタスクに逃げてしまったそうです。
この著者の経験は、私にもそのままそっくり当てはまり「あぁ、自分もそうだ」と深く頷いてしまいました。
そして、この経験談は、私たちに以下のような問いを投げかけます。
効率的にやれば、いつか「コップの水(タスク)」が空っぽになると思っていないか?
今頑張っていれば、少しでもラクになると思っていないか?
私たちは「本当に重要なこと」を先延ししていないか?
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私たちは、時間を支配(コントロール)しようとすればするほど、
時間に支配(コントロール)される。
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最も腑に落ちた一節でした。
最も分かりやすい例は、「IT技術の発達」です。
これらは確かに生産性の向上、時間短縮化に寄与しますが、
それによって、私たちの仕事はラクになったか?というと「否」です。
社会の要求レベルがますます高まってくるのです。
それは「いたちごっこ」のようなものです。
さらには「生産効率」の向上に目が行くあまり、「なんのため?」が抜け落ちてしまいます。
最近は「DX」(デジタルトランスフォーメーション)という言葉をよく聞きます。
著者の考えからすれば、この先どうなるかの答えは見えています。
高速化・効率化を進めるほど、ベルトコンベヤーは高速回転し、私たちは消耗し、焦燥感ばかりを募らせます。
「そうか、コップの水が空っぽになることはないんだ」
「何かから解放されて、ラクになることはないんだ」
「『早く終わらせよう』なんて思わなくていいんだ」
逆説的ですが、そう思った瞬間、フッと気持ちがラクになりました。
「時間に追われる感覚」から解放された気分です。
最後に、「本当に重要なこと」とは一体何でしょうか?
私たちは本当に重要なことを目の前にしたとき、
自分に対する期待値や要求レベルが高まるため、
つい、そこから逃れてしまおうとしてしまうわけです。
そう、本当に重要なこととは、「目の前の現実=今この瞬間」です。
「今」から目をそらさず、「今」から逃げようとしない。
「今」に対して腰を据えて、向き合う。
「今」を感じ、「今」を味わう。
痛みも、苦しみも、喜びも、悲しみもすべてです。
これは決して簡単なことではありません。
でも、大事な心構えです。
今目の前の「現実」を「退屈・窮屈」と感じた瞬間、「逃避」が始まります。
一方、「現実」から目を背けず「向き合おう」とした瞬間、時間が回り始めます。
末期がんの方が、幾ばくも無い命のありがたみを感じ、余生を幸せに過ごす…という話を聞くことがあります。
これは病にならないとそうなれない…というものではありません。
時間に対する捉え方を変えるだけで、それは十分可能です。
私自身、そう簡単に過去の思考のクセから逃れるものではありませんが、
少しでも現実と向き合う生き方をしていきたいと強く思いました。