「アウシュビッツ強制収容所」
読者のみなさんなら、ここで何が起こったかご存知と思います。
もしみなさんが強制収容所に送りこまれ、
時間的な自由、肉体的自由を一切奪われ、
暴力や罵詈雑言を絶えず浴びる、非人間的な扱いを受け、
いつガス室に送られるかもわからず、いつ解放されるかわからない日々を送るとしたら、
どうなることが想像できますか?
著者のヴィクトール・E・フランクルは、強制収容所生活から生還した数少ない一人です。
「夜と霧」
https://www.amazon.co.jp/dp/4622039702
この本は、強制収容所の悲惨さを描くことを目的とした本ではありません。
著者の原体験を通じて、「人間の本質」を説いた本です。
私が本書を読んで考えさせられたフレーズを、以下順序立ててご紹介します。
――
人間は何事にも慣れる存在で、どこまでも慣れる存在だ。
強制収容所生活が続き、肉体的苦痛、非人間的な扱いによる精神的苦痛を受けるうちに、
段々と感情の消滅やマヒ、内面の冷淡さと無関心が起きる。
強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心を奮い立たせない限り、
自分は主体性を持った存在なのだということを忘れてしまう。
精神的に追い詰められた状態で、露骨に生命の維持に集中せざるを得ないというストレスの元にあっては、
精神活動全般が幼稚なレベルまで落ち込むのも無理はない。
強制収容所に入れられた人間は、その外見だけではなく、内面生活も未熟な段階に引きずり降ろされた。
しかし、ほんの一握りではあるにせよ、内面的に深まる人々もいた。
感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えた人、
周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった英雄的な人がぽつぽつと見受けられた。
一見どうにもならない極限状態でも、やはりそういうことがあった。
――
この差は一体何なんでしょう?
私が最も関心を持った場面でした。
現代社会に置き換えるなら、
自分を見失いがちな人と、そうでない人、
安楽な方向に流される人と、そうでない人、
自己中心的な人と、そうでない人がいますが、
その差は一体どこから来るのか?…ということにも置き換えられます。
では、続きを見てみましょう。
――
感受性の強い人びとが、その感じやすさとは裏腹に、
収容所生活という困難な状況に苦しみながらも、精神にそれほどダメージを受けないことがままあった。
おぞましい世界から遠ざかり、精神の自由の国、豊かな内面へと立ち戻る道が開けていた。
繊細な被収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えた。
与えられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。
つまり人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、
収容所に入れられた自分が、どのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せる。
典型的な「被収容者」になるか、
あるいは収容者にいてもなお人間として踏みとどまり、
おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。
生きることを意味あるものにする可能性は、
自分という存在が、極限までがんじがらめにされるなかでどのような覚悟をするかという、
まさにその一点にかかっていた。
勇敢で、プライドを保ち、無私の精神を持ち続けたか?
あるいは熾烈を極めた保身のための戦いのなかに人間性を忘れ、群れの一匹となり果てたか?
苦渋に満ちた状況と厳しい運命がもたらした、おのれの真価を発揮する機会を生かしたか?
あるいは生かさなかったか?
人間の内面は、外的な運命より強靭なのだということを証明した。
脆弱な人間とは、内的なよりどころを持たない人間だ。
では、内的なよりどころはどこに求められるのだろう。
生きる意味を問うことをやめ、
私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきだ。
生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
私たちはその問いに答えを迫られている。
そして、その答えは、考え込んだり言葉によってもたらされるのではなく、
行動によって、適切な態度によってもたらされる。
生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務を果たすこと、
そして、生きることは各人に課す課題を果たす義務、
時々刻々の要請を満たす義務を引き受けることにほかならない。
生きる(存在)することの意味は、人により、また時々刻々と変化する。
したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、
生きる意味への問いに一般論で答えることもできない。
生きることとはけっして漠然としたなにかではなく、つねに具体的何かである。
したがって、生きることが私たちに向けてくる要請も、とことん具体的である。
自分の仕事や愛する人に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。
まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられる。
――
いかがでしょうか。
抽象的な表現もあり分かりにくかったかもしれません。
ただ、今回は余計な解説を加えるよりも、ただ本文を味わっていただくのが良いと思いました。
そのほかにもここでは書き尽くせないくらいの「気づき」を与えてくれたのが本書です。
ご興味のある方は、ぜひ手に取ってみていただければ幸いです。