【第109号】「人間関係の悩み」への処方箋

筆者は「人と組織」に関する仕事をしています。
そこでは当然ながら、「人間関係」に関する悩みを多く聞きます。

上司が高圧的に接してくる。
取引先が横柄な態度を取ってくる。
部下が指示通り動いてくれない。
会社(トップ)の方針に納得できない。
困っているのに誰も手を貸してくれようとしない。

これらは筆者自身も過去に経験したことでもあります。

書籍「嫌われる勇気」でおなじみの心理学者アドラーは、「課題を分離することが大切だ」と言っています。

具体的に言うと、

上司が自分に対して高圧的に接してくることがあったとする。
上司がどう振る舞うかは「上司(他人)の課題」である。
「他人の課題」とはコントロール不可能なものであるから、首を突っ込むべきではない。

一方、「自分の課題」とは「自分がどう振る舞うか」ということである。
毅然と振る舞うか?それとも、耐えしのぐか?それともどうするか?

「他人の課題」と「自分の課題」は分けて考えなさい。
そして、「自分がどうあるべきか」という自分の課題に目を向け、そこにフォーカスすべきだ。

よく考えた結果、仮に自分が毅然と振る舞ったとしよう。
その結果、上司に嫌われたとしても、どう反応するかどうかは上司(他人)の課題であり、それはもう知ったことではない。


ということになります。

それが「嫌われる勇気」たるゆえんです。

 

「頭では分かるんだけどね…」

 

という声も聞こえてきそうです。

 

それもそのはず。

日本では「世間体」「人様」「おかげさま」と言われるように、
「他人の存在があってこそ自分の存在がある」という価値観が浸透しているからです。
それは、他人と自分を切り離すことによって、「自分は生きていけなくなるのではないか」という恐れにもつながってきます。
孤独になることや、仲間外れになることを過度に恐れているようにも感じます。

 

ゆえに、「自分と他人を切り離して考える」という発想はなかなか受け入れられません。

それよりも、「持ちつ持たれつ」「共存共栄」という発想の方が日本では受け入れられやすいのではないでしょうか。

 

「切り離したくても、切り離せない」

この狭間で、私たちは人間関係で思い悩むことになります。

 

そこで、筆者が実践している「心の技法」を1つご紹介したいと思います。

先ほどの例で言うと以下のようになります。

【良くない例 ①対人関係を「因果応報論」で考える】
「上司が高圧的な態度を取ってくるのは、自分が何か悪いことをしてしまったからではないか…」
「(自分に)原因があって、その結果(上司の振る舞い)がある」と捉えると、自分を責めることになってしまい、自分の首を絞め、結果として自身の心身の不調を招くことになりかねません。
このように、対人関係を「因果応報論」で捉えることはおすすめしません。

また、上司が「自分がこういう態度をとるのは、あなたに原因があるからだ。少しは反省したらどうだ。」と言ってくるとしたら、一見もっともらしいかもしれませんが、この言動には明らかな過ちがあります。
なぜなら、それは上司の「解釈」であり、「事実」ではないからです。
もし「事実」だとしたら、世の中の全員が自分の振る舞いに対して高圧的な態度を取るでしょう。

 

【良くない例 ②対人関係を「他責思考」で考える】
「なんで、あの上司は自分に対して高圧的な態度を取ってくるんだ?ムカつく。」
と、他人に対して攻撃的な思考(他責思考)で捉える気持ちも理解できます。
ただ、他人へのネガティブ感情を持っても、他人は変わらないのでその感情を持ち続けることになります。
そうなると「あの上司はダメになってしまえばいい」という憎しみ、怒り、恨みなどのネガティブ感情が自分を覆うことになります。

上司の振る舞い(事実)が自分を苦しめているのではなく、自分の解釈が自分自身を苦しめます。
その結果、自分自身が「嫌な人間」になってしまいます。

 

では、どう捉えたら良いのでしょうか?

 

【心の技法:対人関係を「自己成長の機会」「変化の機会」と捉える】
「高圧的な態度を取ってくる上司に対して、嫌な気持ちになっている自分がいる。この上司を反面教師として自分が学べることは何だろうか?」
「この経験を、自己成長の機会として捉えるならどんなことが考えられるだろう?」
「上司は変わらない。じゃあ、この状況に対して自分をどう変化させていこう?」

このように、自分の感情に素直になりつつ、葛藤が生じつつも自分と向き合うことによって、
あらゆる人間関係は自己成長の肥やしになったり、自身の変化のきっかけになります。

 

多くの人は、偉人から何かを学ぼうとします。
ですが、筆者の経験では「反面教師」から学ぶことの方が圧倒的に多かったです。

なぜなら、偉人や尊敬できる人というのは、その前提や能力にそもそもの違いがあることが多く「自分はそうなれない」となりがちですが、一方で「反面教師」の教えは「こうならないようにしよう」と、すぐに実践できるものばかりだからです。

たとえば、「高圧的な上司」というのは筆者の実体験であり、だからこそ高圧的な態度は取らないようにしています。
また、その上司のおかげで、高圧的に接してくる人への免疫もできました。(笑)
さらには、変わらない他者を目の当たりにし、自らを変化させる(環境を変える)機会にもなりました。

 

一方で、筆者自身も誰かにとっての「反面教師」になっていることと思います。
なにせ多くの過ちを犯してきたという自負(?)があるからです。

 

大事なことは、「過去」と「他人」は変えられないことを前提にしつつも、
過ちのない、完璧な人間などこの世に一人もいない…という一種の開き直りとともに、
他人から学びを得ながら、「未来」と「自分」を変えていくことに努めていくことと考えます。

それが結果として、自らを人間関係の悩みから解放し、
反対に、人間関係から得られる喜びをもたらすと感じています。

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