【第117号】0ベース思考

読者のみなさまに質問です。
(可能な方は30秒間ぐらい考えてみてください。)

もし、「木」がなかったら?

「もし◯◯がなかったら?」ということを真面目に想像すると、
身近にあるものすべてにありがたみを感じます。

このように、「何もない」ことを前提に物事を捉えることを、筆者は「0ベース思考」と呼んでいます。

この「0ベース思考」は、物質的なものだけではなく、人間関係、能力、外見など、すべてを指します。

ただ、「0ベース思考」の本当の恩恵は「感謝心が湧く」ということではありません。

それは、「心に余裕が生まれ、集中力が高まり、劇的にパフォーマンスが上がる」ということです。
なので、充実した人生を送りやすくなります。

「ちょっとこの人何言っているの?」と言われそうですが、もう少しお付き合いください。

これは、その反対を想像すると分かりやすいです。

私たちの心の余裕を奪い、集中力を下げ、パフォーマンスを遠ざけ、人生の質を下げるものは一体何でしょうか?

それは、貧しいこと、才能が無いこと、容姿が整っていないことではありません。
これはあくまで「事象」に過ぎません。

私たちの人生の質を最も下げるものは「囚われ」です。

例えば、今、筆者は沖縄旅行に行く機内で本コラムを書いていますが、前の座席のリクライニングが思いっきり下がってかなり手狭な状態です。

もし、筆者が「なんでただでさえ狭い機内なのに、後ろに気を遣わずにリクライニングを思いっきり下げてくるんだ!」と思ったら、イライラは止まらないでしょう。
旅行気分もどこかに飛んでしまいます。

これこそが、「囚われている」状態です。

このような例は枚挙に暇がありません。

・自分の外見が気になって仕方がないこと(外見への囚われ)
・他人が思い通りにならず囚われている状態(人間関係の囚われ)
・損したことに嘆いている状態(金銭への囚われ)
・誰かの成功を妬んでいる状態(自尊心への囚われ)
・自分が思うように評価されず、不満を抱いている状態(評価への囚われ)
・病に囚われている状態(健康への囚われ)
・常に何かに焦っている状態(時間への囚われ)

このような状態こそが、集中を奪い、パフォーマンスを下げ、人生の充実度そのものを下げます。

先ほどの例に戻すと、筆者は「座れているだけでありがたい」「こうして旅行に行けるだけありがたい」と、
「0ベース思考」で捉えることによって、「囚われ」の感覚は薄れ、穏やかな心でいられました。

沖縄での3泊4日はどうやら曇りや雨の予報です。
これまでの感覚でいたら、「せっかくの沖縄旅行なのに雨だなんて」という気持ちになって「囚われて」いたかもしれません。
ただ、これも「0ベース思考」で捉えることによって、「こうして沖縄に行けることに感謝」という気持ちになりました。

「0ベース思考」最大の恩恵、それは「『囚われ』から解放される」いうことです。

「囚われ」から解放されることで、今日一日が中身の濃いものになります。

「今、ここに心を向ける」

ということは裏を返せば、「囚われのない状態」を指します。

「囚われ」の「囚」という漢字は、「人を檻に閉じ込める」ようなものです。

自分を檻に閉じ込めるのは、他人ではなく、自分の捉え方です。

そして、自分を檻から解放するのも、自分の捉え方です。
それが「0ベース思考」です。

関連記事

TOP