「なんとなくメールやSNSが気になって、ついチェックしてしまう…。」
「ちょっと何かをネットで検索しようとしただけなのに、そのままネットサーフィンしてしまい、あっという間に時間が経ってしまった…。」
「ちょっと休憩…と思ってつけたYouTubeが面白くて、あっという間に時間が経ってしまった…。」
「誰かのことを思い出したら、ネガティブな気持ちになって目の前のことに集中できなくなった…。」
「メッセンジャー目的でFacebookを開いただけなのに、つい投稿をスクロールしてしまい、しかも自慢めいた投稿が飛び込んできて嫌な気分になった。」
読者のみなさまは、こんな経験をしたことはありませんか?
「気が散る」「気を取られる」「気を奪われる」…
「気」とは「集中」です。
集中できないことは、即、パフォーマンスの低下につながります。
パフォーマンスの低下につながれば、当然、アウトプット(成果)の質も下がります。
◆今日の質問
「私の『集中』を奪うものは何か?」
「私のネガティブな気持ちにさせるものは何か?」
「どうしたら少しでも、集中できる『良い環境』を創り出せるだろう?」
◇解説
良い人生を送るために、自らに「良い環境」を創り出せるかどうかは、人生の質にも関わってきます。
ただ、現代は「意思」の力だけではどうにもなりません。
たとえば、「スマホに触らない」という行為は、今やほぼ不可能です。
ただ、「〇〇時にスマホの電源を切る」くらいならできそうです。
ネットにつながらない生活も、仕事や勉強をする上では不可能です。
ただ、「ネットの接続を都度OFFにする」ことならできそうです。
「SNSを見ない」ということも、現代人にとっては通信手段となっている以上、つながらないことはほぼ無理です。
ただ、「自分を嫌な気持ちにさせる投稿をする人のフォローをやめる」ことならできそうです。
あの人のことを思い浮かべると、どうしても嫌な気持ちになる。
「あの人」の存在を消し去ることは容易ではありません。
ただ、「毎日できていること・良かったこと・ありがたかったことをノートに書く」「誰かを思いやってみる」ことくらいならできそうです。
思考が他の対象に向くわけですから、ネガティブな気持ちは半減します。
こうして、周辺環境を自分なりに少しずつ工夫して整えていくこと(あるいは削いでいくこと)で、「集中しやすくなる状態」が徐々に出来上がってきます。
整っている状態・集中できている状態を自ら創り出せている…。
それが「良い習慣」です。
こんな通信を毎週書いている筆者ですが、メンタルが強い訳ではありませんし、意思も弱く誘惑にも弱いです。
ただ、自分の「弱さ」を自覚しているので、少しでも「強く」ある環境を創っていこうとしていることは事実です。
自らの日常に「禅寺の環境」を創っていくようなイメージでしょうか。
「弱さの自覚が、強さへの一歩」と言えるかもしれません。