栄木の”ひとり言”

【第268号】ランキングの外側にあるもの

娘が大学受験を終えました。

合否の結果を見守りながら、
筆者は30年前の自分を思い出していました。

当時、受験という仕組みの中で、
偏差値は、自分の位置を示す「ランキング」でした。

順位が上がれば安心し、
下がれば、不安になる。

そして30年が経った今も、
その構造は、本質的には変わっていないように思います。

大学のランキング。
会社のランキング。
年収のランキング。

さらに最近では、
時価総額、SNSのフォロワー数など、
あらゆるものがランキングとして可視化されるようになりました。

私たちは、気づかないうちに、
その序列の中で、自分の位置を確認しています。

読者のみなさまも、
いつの間にか、ランキングの中に自分を置き、
それを基準に、自分の価値を測ってしまったことはないでしょうか。

ランキングは、本来、単なる指標に過ぎません。

しかし、それを自分の価値そのもののように受け止めてしまうと、
一種のバイアスが生まれます。

「どうせ自分は…」と、挑戦する前に諦めてしまう人。
本来持っている力を発揮する前に、自ら可能性に蓋をしてしまう人。

その背景には、セルフエスティーム(自己肯定感)の低さがあります。

日本は、全世界的に見て「自己肯定感が低い」という結果が出ています。
そして、そのセルフエスティームの低さは、
ランキングによって、絶えず自分の位置を意識させられる構造と、
無関係ではないように思います。

順位の中で自分を見続けるうちに、
いつしか「順位」が、「自分そのもの」であるかのように感じてしまう。

そのことが、
挑戦する前に白旗を上げてしまう空気を生んでいるのかもしれません。

以前、ニュージーランドを訪れたとき、
その前提が揺らぐ瞬間がありました。

人口は約530万人。
日本の約1/24です。

しかし、現地で出会った人々は、
驚くほど自然体で、自分自身を肯定しているように見えました。

自分を必要以上に大きく見せようともせず、
かといって、小さく扱うこともない。

ただ、そこに「在る」ことに、
揺らぎのない感覚を持っているようでした。

ニュージーランドといえば、
ラグビーのオールブラックスが有名です。

彼らは、どれだけ偉大なスター選手であっても、
ロッカールームを自ら掃除します。

これは「Sweep the sheds」と呼ばれる文化です。

特権ではなく、責任であること。
そして、オールブラックスのジャージは、
自分の所有物ではなく、「借り物」であるということ。

どれだけ評価されても、
どれだけランキングの上位にいても、
謙虚であれ。

Humility(謙虚さ)。

それが、彼らの大切にしている価値観です。

ランキングの上位にいても、
それを自分の存在価値そのものとは結びつけない。

だからこそ、
彼らは揺らがないのかもしれません。

私たちは、ランキングの中で生きています。

しかし、
ランキングの中で生きることと、
ランキングで自分の存在価値を決めてしまうことは、
まったく別のことです。

世の中が、ランキングであなたを評価しようとしても、
自分まで、そのランキングに自分を委ねる必要はありません。

どの位置にいるかではなく、
自分がどうあるか?。

その問いを持つことが、
セルフエスティーム(自己肯定感)を取り戻し、
ランキングの外側に立つということなのだと思います。