栄木の”ひとり言”

【第270号】意味づけの力

筆者には、ひいきにしているラグビーチームがあります。

あるシーズン、プレーオフ進出の可能性が絶たれた試合のあと、チームの様子が明らかに変わりました。

ディフェンスが甘くなる。
踏ん張りが利かない。
プレーがどこか緩慢になる。
凡ミスが増える。
一体感も薄れていく。

テレビで試合を見ながら、筆者は不思議に思いました。

選手の能力が急に落ちたわけではありません。
同じ選手、同じ技術です。

それでも、ここまで変わるのか。

理由は、おそらく一つです。

意味づけがなくなった。

人は、
「〇〇のために」
という意味があるからこそ踏ん張れます。

チームのために。
仲間のために。
成果のために。

その意味があるから、最後の一歩を踏み込めます。

逆に言えば、

意味づけが消えた瞬間、人は急速に力を失います。

この話で思い出すのが、精神科医ヴィクトール・E・フランクルの著書『夜と霧』です。

フランクルは、ナチスの強制収容所を生き延びた人物です。

収容所に到着すると、人々はまず家族と引き離されました。
妻や子ども、両親とその場で別れ、二度と会えなかった人も少なくありません。

その後、労働に使える者と、そうでない者に分けられました。
多くの人は、その場でガス室へ送られていったと言われています。

生き残った人々も、過酷な生活を強いられました。

わずかなパンだけの食事。
凍える寒さの中での重労働。
病気や暴力で、仲間が次々に命を落としていく。

そんな極限の状況の中でも、収容者たちは心のどこかで、ある希望を抱いていました。

「クリスマスまでには、きっと何かが起きる。」

戦争が終わるかもしれない。
連合軍が来るかもしれない。
少なくとも、この地獄は終わるはずだ。

確かな根拠があったわけではありません。
それでも人は、希望を意味づけにして生き延びようとしていたのです。

しかし、クリスマスが過ぎても、何も起こりませんでした。

その頃から、収容所では急速に人が亡くなり始めたといいます。

肉体が突然弱ったわけではありません。

生きる意味を支えていた「希望」が崩れたからです。

フランクルはこう書いています。

人は苦しみによって倒れるのではない。
意味を失ったときに倒れる。

実は、この現象は逆でも起きます。

宝くじの高額当選者の人生が、その後うまくいかなくなるという話があります。
突然すべてが手に入ったとき、努力する理由が消えてしまうからです。

大学受験を終えた途端、遊びまくる学生。
創業者の後を継いだ二代目社長が苦戦するケース。

どちらも、
「すでにある状態」から始まるため、
自分自身の意味づけを作りにくいのです。

人は能力だけでは踏ん張れません。

意味づけがあって初めて、能力が力になります。

筆者が会社を立ち上げた理由も、そこにあります。

一人ひとりが自分の考え方や行動のクセに気づく。
それをきっかけに、行動が少しずつ変わっていく。
その結果、人と組織がイキイキとしていく。

その瞬間に立ち会うこと。

それが、この仕事の意味です。

もちろん、すべてがうまくいくわけではありません。
失敗することもあります。

しかし、それもまた次の学びになります。
もし、すべてが順調だったら、人はきっと成長しません。

人は、意味があるから踏ん張れる。

だからこそ、ふと立ち止まって考えてみたいのです。

自分は、何のために仕事をしているのか。

その意味づけが、
これからの行動を決めていくのだと思います。