栄木の”ひとり言”

【第165号】「体使い・心使い・頭使い」

体、心、頭…。
読者のみなさまは、最近、何をたくさん使っていますか?

「体使い・心使い・頭使い」とは、筆者の作った造語です。

「体使い」とは、歩く、整理整頓、運動する、外出する…といった行動全般です。
「動物(=動く生き物)」でもある人間の、ベースとなる部分です。

「心使い」とは、気配り、目配り、心配りといった、周囲に対する関与全般を指します。
人は、支え合ってこそ生きています。
良好な人間関係を築き、助け合い、共存していくためにも必要な要素です。

「頭使い」とは、「頭で考えること」全般です。
実は「脳」というのは、「ナマケモノ」の側面があります。
私たちが頭で考えるときは、「どうしたら効率的にできるか」「どうしたら最短の方法で上達するか」など、少しでも少ない労力で得られる方法を考えます。
これは悪い意味で言っているのではなく、脳は「生命」を少しでも長く維持するために必要な仕事をしています。
脳は、生命活動を維持するために、少しでも休ませることやラクすることを考えます。
脳の本来の姿としては、ドラえもんの「のび太くん」に近いかもしれません。
一見すると、自己中心的でわがままかもしれませんが、良くも悪くもそれが人間の本来の姿ということです。

ここで、筆者が問題に感じていること、
それは、体使い・心使い・頭使い…、そのどれもが人がよりよく生きていく上で欠かせない要素ですが、
現代は「頭使い」に偏っているという点です。

何よりも、体を動かす場面(体使い)が確実に減ってきました。
実際に、生活をする上で、インターネットがあれば大半のことが完結するようになりました。
家事をするにしても、昔に比べたら各段に短縮されました。
結果として増えた時間は、スマホやPCなど「画面に向かうこと」だったりします。
それは、「体」よりも「頭」を使う時間が増えたことを意味します。

「心使い」の場面も減ってきました。
人間関係の構築や維持には何かと気を遣います。
ですが、昔は共同体で生きていくためには必要なことでした。
それが、今や人と関わりを持たなくても、食糧を得られるようになりましたし、遊べるようにもなりましたし、生活できるようにもなりました。
実際に、ネットショッピング、ウーバーイーツ、ネットフリックスなどの刺激的で楽しい動画コンテンツを見て、家から出ずに1日を過ごすこともできます。
生きていくために、他人に心を遣う必要がなくなってきたわけです。
とはいえ、生活手段としての「お金」は欠かせません。
そこで、少しでもお金やポイントを増やすために「頭」を使う場面が増えました。

極端にいえば、「体」や「心」を使わなくても、「頭」を使うだけでも生きていけるのが、現代社会と言えます。

では、「『頭使い』への偏り」が、何を生み出しているのでしょうか?

それは、「新たな問題」を生み出してしまっているという点です。

「心使い」ができない人同士が関われば、問題が生じたときには争いが生じます。
そして、自己中心的な発想をもって互いを傷つけあってしまいます。
「心使い」ができないことは、「人間関係の悪化」を招きます。

また、「体使い」ができなければ、勇気を出して一歩踏み出すことができません。
つまり、リスクを取ることが億劫に感じてしまうわけです。
誰かのために体を張る…なんてもってのほかです。
誰かが困っている場面に遭遇したとしましょう。
とっさに体が動く前に、頭で考えてしまっていませんか?
「体使い」ができないことは、人をますます臆病にさせ、自己保身に向かわせます。

そして、「頭使い」に偏れば、当然、自己中心的な発想に陥ります。
それは、思い通りにならない出来事に対して、他責(自分以外の誰かのせい)の思考にさせ、自らを苦しめてしまいます。

かくいう筆者も、ややもすると「頭ばかりを使っているな」と感じることがあります。
「心」と「体」がついていかない感覚です。
多くの刺激に触れすぎているせいか、心からの感謝・感動・感激が湧きおこりにくくなったように感じます。
また、「体を動かすこと」が億劫に感じることも多々あります。「後片付け一つ」とってもです。

冒頭に申し上げたとおり、現代社会において、無意識でいると私たちは「頭使い」に偏っていきます。

だからこそ、意識して「体」を使い、「心」を使っていくことが大切に感じます。
それが結果として、人間らしさを取り戻し、自分だけでなく周囲にも良い影響を与え、自他ともに充実した人生につながっていくものと思います。