栄木の”ひとり言”

【第128号】「ダイバーシティ&インクルージョン」って何?

ここ最近、企業ではダイバーシティ&インクルージョン(D&I)の推進が重要なテーマとなっています。

多様な価値観や背景を持った人たちが、お互いを尊重しあって、相乗効果が生まれるといったものです。

多様な人たちの「関係の質」が高まることで、
「思考の質」に良い影響を与え、
「行動の質」が高まることによって、
「結果の質」につながる…といったイメージです。

これをマサチューセッツ工科大学のダニエルキム教授は「組織の成功循環モデル」と呼びました。

どの組織で所属する人も、誰しもがこのような「グッドサイクル」を回したいと願うものです。

ですが実態としては、多くの人たちが職場の人間関係にストレスやフラストレーション(不満)を感じているのが大半です。
それが、仕事に対する「割り切り」であったり、「あきらめ」につながっています。

こうなってしまうと、組織の力はなかなか発揮されません。
いわば、「関係の質」の希薄さ・悪化が、
「思考の質」に悪影響を与え、
「行動の質」が下がることで、
「結果の質」も下がる…といった「バッドサイクル」に陥ります。

なぜ、多くの人は「多様性を尊重することは大事」と頭では分かっていても実際はそうはできないのか?
なぜ、多くの人は「グッドサイクル」を望むのに、「バッドサイクル」に陥ってしまうのか?

この問いに対しては、シンプルかつ明快な「答え」があります。

それは、多様性の尊重とは「『異質なものを排除したい』という動物的本能と対峙することでもある」ということに尽きます。

私たち人間は、本能的に「異質」なものを排除しようとします。
これは「種の保存」という根源的なところまで関わってきます。

分かりやすいところで言えば、「病原菌」がまさにそうです。
他にも「害虫」も駆除しようとします。

対人間で言えば、自分(本人)と「異質」なものとして、
「人種」「ジェンダー」「世代」「考え方」「外見」「学歴」「貧富」「能力」なども挙げられます。

例えば、自分よりも能力的に優位で、「自分の身を脅かすような存在」と本人が見なせば、その相手を排除したい…と思うのが人間の本能です。

反対に、自分より能力的に劣り、「自分の足を引っ張るような存在」と本人が見なすことも同様のことが言えます。

さらには能力的に同等だとしても、ポジションが重なれば、「相手より優位に立って自分の居場所を保ちたい」…というのが人間の性です。

ゆえに、「多様性を尊重する」ということは、「異質なものを排除したくなる」人間の動物的本能をどれだけ克服できるかということにもつながります。

それは「理性」であったり、「愛」という言葉にも置き換えられます。
(個人的には、「誰にでもニュートラル(自然体)で接する」という言葉がしっくり来ます)

異質なものを排除せずに、
異質なものを、理性を持って受け容れる。
さらには、愛情を持って受け容れる。

こうすることによって、ダイバーシティ&インクルージョンは促進されます。

それは「病」を見つけて取り除こうとせず、「病」と仲良く付き合う姿勢にも似ています。

さらには、「一寸の虫にも五分の魂」「和を以て貴しとなす」という諺の通り、
日本人は本来、多様性を尊重する感性を持っていると筆者は感じます。

一方で、ダイバーシティに関しては、こんな質問も出てくるかもしれません。

「多様性を尊重ばかりしていては、みなが好き勝手にして、収拾がつかないのでは?」

確かに、これは一理あります。
人間は、易きに流れる一面もありますので、なんでも受容される環境が身勝手さを助長することもあります。

だからこそ、今、大切だと言われるのが、

「自己規律(自律)」になります。

内なる良識や規範に従い、行動できるか?といったものです。

「内なる良識に従い、自分とは異質な存在を受容する」

こういうメンタリティーになって、ダイバーシティ&インクルージョンの輪が広がっていくと筆者は考えます。

そのためにも、まずは筆者自らがそのような人間になりたいと感じる今日この頃です。