
ある私立高校のスポーツクラスの「メンタル強化プログラム」に関わらせていただいて、4年目になります。
先週の土曜日(15日)も3時間ほど「メンタル強化ワークショップ」を実施してきました。
ここで、筆者が「メンタル強化」に携わることになった経緯を紹介します。
縁あって某大学ラグビー部に「メンタルトレーナー」として関わらせていただいた際、
その取り組みがNHKのクローズアップ現代+で取り上げられ、反響を呼びました。
そのときの特集のタイトルが、「“ゴミ拾い”が組織を変える?」です。
「なんでゴミ拾いとメンタルが関係あるの?」
と言われそうですが、それは決して「マジカル」なものではなく、
とても「ロジカル」なアプローチになりますので、以下、順を追って説明していきます。
まず、「メンタル」というと様々な捉え方をされるので、ここでは「メンタリティー」と置き換えます。
言うなれば、物事に対する「心の持ちよう」です。
私たちは、喜怒哀楽…様々な心境の変化があります。
心境の変化は、何かを思い浮かべることによってもたらされたり、
また、熱い寒いなどの「外的な環境の変化」によってもたらされます。
人間関係についても、ある人と会えば心がときめいたり、反対に嫌な気持ちになる…という点では「外的環境」と言えます。
そして、外的環境の影響をまったく受けない人はいません。
誰しもがその影響を受けます。
ポイントは、「振れ幅の違い」です。
外的な環境に対して、大きな影響を受ける人もれば、そうでもない人もいます。
振れ幅が小さかったり、
たとえそれが大きくなっても、我を見失わず自ら立て直す術を心得ていることが、
強くしなやかなメンタルと言えます。
特に、ストレスフルな状況の時にメンタルは問われます。
では、どうしたら強くしなやかなメンタルになるのでしょう?
いくつもの逆境を乗り越えてきた人が、メンタルが強くなることは容易に想像できます。
一方、場数を踏んでいない人はメンタルが弱いままなのでしょうか?
答えは「NO」です。
メンタルを強くするためには、まず、人間なら誰しも持っているメンタリティーを知る必要があります。
それは、「少しでもラクになりたい」「面倒なことは、なるべくなら避けたい」というものです。
「安楽への欲求」とも言い換えられます。
これは決して悪いことではなく、そうでないと人間は生きてはいけない「生存本能」とも直結するものです。
シーソーに例えるならば、
私たちは、「ラクして生きたい」⇔「成長することで生きたい」という心を行き来しています。
これは決して相反するものではありません。
「努力して成果を出して、早くラクになりたい」という気持ちであったり、
「ぐっすり寝ることで、次の日は全力で活動したい」という相互依存関係にあります。
問題は、心のシーソーが「ラクして生きたい / 面倒なことはしたくない」方に偏ってしまうことです。
例えば、電話よりメール・LINE。対面よりオンライン…。いった具合です。
これは枚挙に暇がありません。
現代人は、一昔前に比べて「ラクにさせられてしまっている」と言えます。
そうなると、面倒ごとへの耐性が身につきません。
ですので、面倒ごとが起きたときに、心の振れ幅が大きくなってしまいます。
例えば、「人に何かを尋ねる」ことすら、面倒に思ってストレスに感じる人がいるくらいです。
人に何かを尋ねるくらいなら、Googleで調べた方が早いです。
「苦労を買って出る」
とは古めかしい諺ですが、心の振れ幅を少なくしバランスを保つにはとても理にかなっています。
なぜなら、普段から苦労を買って出る習慣を身に着けておけば、面倒ごとへの耐性が身につき、そこまで面倒には思わないからです。
つまり、心の振れ幅は小さくて済みます。
そして、苦労を買って出る行為のわかりやすいたとえが「ゴミ拾い」というわけです。
見て見ぬふりをするのではなく、小さなことに気づき、自ら面倒ごとに挑んでいく。
それは、人助けであったり、整理整頓であったり、すべての日常の事柄についても言えることです。
そうすることで、面倒ごとへの耐性が身につき、困難へも挑んでいくメンタルが養われるわけです。
強く折れないメンタルになるためには、特別なトレーニングをしなければいけない…ということはありません。
ゴミ拾いや整理整頓といった「凡事徹底」を継続するこそが、メンタル強化の近道です。
今、お伝えしていることは、何も目新しいことではなく、昔からの言い伝えであり「道理」でもあります。