
先日、筆者は中学校時代のある同級生と34年ぶりに再会しました。
自己最長の「〇〇年ぶり」記録更新です。
再会する前は「中学校時代の顔・体型・声・キャラ」で時が止まっていました。
ですが、出会った瞬間に一気にタイムトリップ。
「おー〇〇君!全然変わんないね!」――そんな声が自然と出ました。
顔を見た瞬間「あの頃のままだ」と思いつつも、同時に“お互いのいろんなパーツ”も否応なく目に飛び込んできます(笑)。
でも、それも含めて愛おしい時間でした。
もしこれが10年〜20年前の再会だったら、正直「マウント合戦」になっていたかもしれません。
”スクールカースト”の残像がちらつき、職業や収入、肩書や車の話でお互いを測っていたかもしれません。
「同窓会は行きたくない」――その理由の多くが、実はここにあるのではないでしょうか。
ところが今回、不思議とそれがまったくありませんでした。
「今何してるの?」という話は出ましたが、そこに優劣は存在しません。
ただただ“存在そのもの”を認め合う、まるで中学校の放課後のような時間が流れました。
心地よい時間というものは、あっという間に過ぎてしまうものです。
平日にもかかわらず、みな遠方から集まり、明日はみな仕事を控えているのに最後はもう一軒はしご。
50歳手前のオッサン5人でカラオケBOXに行き、中学校時代によく合唱で歌っていた『大地讃頌』を全力ハモり。
はたから見れば全然ハモっていませんでしたが(笑)、みなが全力でそれぞれのパートを歌う姿は、まさに青春そのもの。
気が付いたら「やばい終電だ!」と、まるで蜘蛛の子を散らすように一斉に解散していきました。
ほんの少し、時を巻き戻せた気がしました。
筆者自身、「今さら連絡してもな」とこれまで少し距離を置いてきました。
しかし、今だからこそ再会する意味があるのだと実感しました。
普段慣れた人と過ごす時間もいいですが、会いたいと思っている人がいるのに、自分から一歩を踏み出せずにいるなら、勇気を出してみるのもおすすめです。
仕事や商売抜きに、ただ相手の物語に耳を澄ませる時間は、心を温めてくれます。
デジタルで誰とでもつながれる時代だからこそ、実際に顔を合わせることの希少価値はぐんと上がっているのだと思います。
SNSの“いいね”より、リアルな笑いじわの方がずっと価値がある。
筆者はこの経験を通じて、人と人の“リアルなつながり”の力を改めて感じました。
さて今度は、誰に会いに行こうか――今度はどんな“青春リターンズ”になるのか。
想像するだけで、ちょっとワクワクしています(笑)。