ここ数日、目の前の仕事に思うように集中できない自分がいました。
取り組みたい大事なことがあるにもかかわらず、なぜか他人のちょっとした言動が気になってしまう――。
自分に対するネガティブコメントが頭の中で何度も再生される。
依頼したことに応答がないと、「ちゃんとやっているのかな」と攻撃的な気持ちになる。
こちらの提案に反応がないと、なぜか不安になる。
そんな思いが次々に浮かんできて、気づけば時間だけが過ぎていく…。
自分の意識が“今この瞬間”ではなく、
「期待と現実のギャップ」ばかりに囚われていました。
そのとき、ふと思い出したのが、“壺”の寓話です。
ある日、教授が「大きな壺」を教壇に置いて、こう言いました。
「これは、あなたたちの人生を表しています」
そう言って、ゴツゴツした“大きな岩”を壺に入れていきます。
壺はすぐに岩でいっぱいになりました。
「さて、この壺はもういっぱいでしょうか?」と教授。
学生たちは言います。
「いや、まだいけます!」「すき間があります!」
すると教授は「小石」を注ぎ、さらに「砂」を入れ、最後に「水」を流し込みました。
壺は見事に満たされます。
「私が伝えたかったことは何だと思いますか?」
学生の一人が自信満々に答えました。
「工夫すれば、まだまだ詰め込めるってことですね!」
教授は静かに言いました。
「違います。
もし最初に水や砂を入れていたら、大きな岩はもう入らなかった。
人生も同じです。本当に大切なものは、最初に入れておかないと入らなくなるのです。」
「自分にとって“大きな岩”ってなんだろう?」
仕事、健康、旅、食、睡眠、家族、仲間、目標達成…。
色々と思い巡らせてみました。
そのときふと降りてきたのは、「集中」という言葉でした。
ただし、ここでいう「集中」は、努力で一点にフォーカスするようなものではありません。
雑念に引っ張られず、心が凪(なぎ)のように静まり、今とまっすぐ向き合っている状態。
過去を悔やまず、未来を不安がらず、
他人の言動にも反応しない。
何も思い浮かべず、ただ目の前の人や仕事と、ニュートラルな気持ちで向き合う。
それが、筆者にとっての「集中」です。
そして気づきました。
集中できていないとき、筆者は「欠けていること」ばかりを思い浮かべていました。
でも、集中できているときには、それらがまったく気になりません。
むしろ、他人への穏やかなまなざし、
あるものへの感謝、
現実をそのまま受け容れる心、
そして“今やるべきこと”への専念につながっていく。
集中とは、ただ効率を上げるための能力ではなく、
人や出来事とどう向き合うか――
自分の心をどう整えるかという“人生の根っこ”なのだと感じました。
集中――
目に見えないけれど重く、人生を支える土台。
それが筆者にとっての“大きな岩”でした。
それに気づいてから、筆者は自分の壺にそっと“集中”を入れるようにしています。
心を凪にして、思い浮かぶあれこれを脇に置き、
目の前のものごとと、ただ向き合う時間。
最後に、読者のみなさまに問いかけたいと思います。
今日一日、あなたは何を思い浮かべていましたか?
その想念は、あなたの感情にどんな影響を与えていましたか?
そして、あなたの壺には、何が一番に入っていましたか?
私たちは、何を思い浮かべるかを選ぶことができます。
そしてその選択が、今日一日の心のあり方を、少しずつ、しかし確かに変えていくのだと思います。
