
今、いくつか花見を企画しています。
気づけば、こうして何かを企画することがすっかり習慣になっています。
筆者は昔から「企画する側」の人間でした。
小学生の頃は、自宅に仲間を呼んでファミコン大会。
高校時代は、クラスメイトを招いてバーベキュー。
ラグビー部では宴会部長も務めていました(←内容は聞かないでください)。
「企画好き」が高じて、「旅行会社」に入社しました。
入社後は修学旅行の企画を担当し、「誰もやっていないプランを考える」のが楽しかったものです。
今の仕事でも、「社会人のための修学旅行」「人事の放課後」「IK!IK!交流会」など、さまざまな企画をしています。
そんな筆者が、ふと思いました。
「何かを企画する人って、もはや『絶滅危惧種』に近いのでは?」
実際、企画する人が減っているのには理由があります。
コロナ以降、リモートワークの普及で人と会う機会が激減しました。
SNSやYouTube、Netflixといったオンラインコンテンツが充実し、「家で楽しめるもの」が増えました。
気軽に外に出る文化が以前より薄れ、リアルな場を作る人が少なくなってきています。
実際にデータを見ても、会社の忘年会の参加率は年々低下。結婚式の二次会の開催数も減少。
「リアルで集まる」という行為自体が、社会全体で減ってきているのです。
「幹事や何かを企画するのって、大変じゃないですか?」
「準備や片付けもあるし、面倒じゃないですか?」
よく、そう言われます。
たしかに、企画する側にはいろいろな試練が待っています。
「スルーされると寂しい」問題
― 「〇〇やります!」と送ったグループLINEが、“既読スルー”で数日経過……。
「ふられ続けてメンタル削られる」問題
― 「欠席」「ドタキャン」が続き、人が集まらないと正直かなり凹みます。
「つまらなかった」問題
ー 実際開催してみたら…、「料理がおいしくなかった。なんか面白くなかった。」良かれと思ってやったのに…。
こういうことが積み重なると、
「もう企画はしたくない」と思うのも無理はありません。
一方、「欠席」「参加しない」側の気持ちも分かります。
「せっかくの休日、わざわざ予定を増やしたくない」
「そんなに仲が良いわけじゃないし、会うことで気疲れしそう」
「誰かの自慢話ばかりになって、参加してかえって嫌な思いをした」
そして気づけば、「社会人になってから、リアルで集まる機会が減った」と感じるようになります。
そんな時、最近仲間から言われた一言がとても嬉しかったです。
「最近はみんなで集まることが少なくなったから、栄木くんみたいに企画してくれる人が本当にありがたい」
これまで、「やって当たり前」と思われていた企画も、最近はこうして感謝されることの方が少しずつ増えてきました。
絶滅危惧種も、見方を変えれば「希少価値が高まっている」のかもしれません。
ですので、筆者はこれからも企画を続けようと思います。
筆者が幹事を続ける理由は、たった1つです。
企画をするのは、正直色んな面倒が伴います。
準備もあるし、片付けもあるし、こちらの不手際で文句を言われることもあります。
でも、そのめんどくささを吹き飛ばす瞬間があります。
「楽しかったよ!ありがとう!」
みんなが笑顔で帰っていくのを目の当たりにした時です。
この瞬間に遭遇できるだけで、全部がチャラになります。
人生を振り返ったとき、思い出すのは、
「YouTubeで見た動画」ではなく、
「一緒に楽しんだ仲間との時間」ではないでしょうか。
リアルで「人とつながる機会」をつくっていくこと。
それは、「未来の想い出」、ひいては「人生の想い出」をつくることなのかもしれません。