
「年賀状じまい」という言葉を最近よく耳にするようになりました。
ハガキの値段が上がり、形式的で、作成するのが面倒となれば、確かに「年賀状じまい」したくなる気持ちも分かります。
LINEやメールでの新年あいさつの方がよっぽど早くて簡単です。
ですが、常識とは「逆張り」の発想をしてしまうのが、筆者の気性です。
世の中の流れが「年賀状じまい」に向かっているからといって、「じゃあ、自分もそうしよう」とはなりません。
手書きの気持ちのこもったはがきは、どこか心に残るもの。
そう、はがきの本質は「心のやりとり」だと筆者は考えます。
もちろん、印刷しただけの形式的な年賀状は減る一方でしょう。
LINEやメールの方が便利ですし、返信の負担感もありません。
ですが、一筆添えた年賀状は違います。
特に気持ちのやりとりが減りつつあるこの時代、一筆添えた年賀状は、人の心と心をつなぐ数少ない手段の一つではないでしょうか。
オンラインでのつながりが主流の今、手書きのはがきが優れている点は「存在として残る」ことです。
相手の手元に物理的に残り、記憶にも刻まれやすいです。
例えば、疎遠になっても年賀状だけでつながっている関係は、どこか懐かしく温かい記憶として心に残るものです。
筆者自身、もう20年近くも会っていない方がいますが、このたった年に1回の一筆添えたやりとりが、心をどこか“ほっこり”させてくれます。
年賀状を出すかどうかはその人の自由です。
筆者がここでお伝えしたいのは、一筆添えた年賀状が、心を込めて自分の存在を相手に伝えるための優れたツールであること。
そして普段デジタルベースのやりとりだからこそ、年に1回の手書きの挨拶が、相手に意外性と好印象を与える可能性があるということです。
言い換えれば、年に1回の“特別なコミュニケーションの場”でもあります。
年賀状を書くのは手間がかかりますし、効率を重視する時代にはそぐわないかもしれません。
だからこそ、筆者はこれまでやりとりをしてきた相手にこんな一筆を添えたいと思います。
「このようなご時世につき、返信はご不要です」
筆者が年賀状を書く理由は、自分の存在を心を込めて相手に伝えることです。
…と、こんなことを言っている筆者ですが、現時点(12/23)でまだ年賀状作成が手つかずです…。
これから気合いを入れて作成します!