筆者には、ひいきにしているラグビーチームがあります。
あるシーズン、プレーオフ進出の可能性が絶たれた試合のあと、チームの様子が明らかに変わりました。
ディフェンスが甘くなる。
踏ん張りが利かない。
プレーがどこか緩慢になる。
凡ミスが増える。
一体感も薄れていく。
テレビで試合を見ながら、筆者は不思議に思いました。
選手の能力が急に落ちたわけではありません。
同じ選手、同じ技術です。
それでも、ここまで変わるのか。
理由は、おそらく一つです。
意味づけがなくなった。
人は、
「〇〇のために」
という意味があるからこそ踏ん張れます。
チームのために。
仲間のために。
成果のために。
その意味があるから、最後の一歩を踏み込めます。
逆に言えば、
意味づけが消えた瞬間、人は急速に力を失います。
この話で思い出すのが、精神科医ヴィクトール・E・フランクルの著書『夜と霧』です。
フランクルは、ナチスの強制収容所を生き延びた人物です。
収容所に到着すると、人々はまず家族と引き離されました。
妻や子ども、両親とその場で別れ、二度と会えなかった人も少なくありません。
その後、労働に使える者と、そうでない者に分けられました。
多くの人は、その場でガス室へ送られていったと言われています。
生き残った人々も、過酷な生活を強いられました。
わずかなパンだけの食事。
凍える寒さの中での重労働。
病気や暴力で、仲間が次々に命を落としていく。
そんな極限の状況の中でも、収容者たちは心のどこかで、ある希望を抱いていました。
「クリスマスまでには、きっと何かが起きる。」
戦争が終わるかもしれない。
連合軍が来るかもしれない。
少なくとも、この地獄は終わるはずだ。
確かな根拠があったわけではありません。
それでも人は、希望を意味づけにして生き延びようとしていたのです。
しかし、クリスマスが過ぎても、何も起こりませんでした。
その頃から、収容所では急速に人が亡くなり始めたといいます。
肉体が突然弱ったわけではありません。
生きる意味を支えていた「希望」が崩れたからです。
フランクルはこう書いています。
人は苦しみによって倒れるのではない。
意味を失ったときに倒れる。
実は、この現象は逆でも起きます。
宝くじの高額当選者の人生が、その後うまくいかなくなるという話があります。
突然すべてが手に入ったとき、努力する理由が消えてしまうからです。
大学受験を終えた途端、遊びまくる学生。
創業者の後を継いだ二代目社長が苦戦するケース。
どちらも、
「すでにある状態」から始まるため、
自分自身の意味づけを作りにくいのです。
人は能力だけでは踏ん張れません。
意味づけがあって初めて、能力が力になります。
筆者が会社を立ち上げた理由も、そこにあります。
一人ひとりが自分の考え方や行動のクセに気づく。
それをきっかけに、行動が少しずつ変わっていく。
その結果、人と組織がイキイキとしていく。
その瞬間に立ち会うこと。
それが、この仕事の意味です。
もちろん、すべてがうまくいくわけではありません。
失敗することもあります。
しかし、それもまた次の学びになります。
もし、すべてが順調だったら、人はきっと成長しません。
人は、意味があるから踏ん張れる。
だからこそ、ふと立ち止まって考えてみたいのです。
自分は、何のために仕事をしているのか。
その意味づけが、
これからの行動を決めていくのだと思います。