先日、高校の同級生と花見をしました。
お酒を飲んで、どうでもいい話をして、ただ笑っていただけ。
特別な出来事があったわけではありません。
でも翌日、不思議なくらい気持ちが軽くなっていました。
「あれ、なんだか元気だな」と、自分でもはっきり分かるほどに。
みなさんにもないでしょうか。
「この人と会ったあと、なぜか元気になる」
そんな相手が。
正直に言うと、ここ最近はあまり調子がよくありませんでした。
やることはあるのに、いまひとつ気が乗らない。
疲れているわけでもないのに、心だけが少し重い。
そんな日が続いていたのです。
だからこそ、同級生と会ったあとの変化が不思議でした。
何か励まされたわけでも、背中を押されたわけでもありません。
ただ一緒にいて、ただ話していただけです。
それなのに、ずいぶん楽になった。
なぜだろうと振り返ってみると、ひとつ思い当たることがありました。
その時間、筆者はとても自然でいられました。
無理に明るくすることもなく、気を遣いすぎることもなく、
よく見せようともしないまま、ただそこにいられた。
「この仲間といると、心が開く」
「この仲間といると、気が楽になる」
たぶん筆者は、その時間の中で、
何かを新しく手に入れたのではなく、
もともとの自分に戻っていたのだと思います。
ここで、ふと思いました。
同じ人でも、元気なときと余裕がないときとでは、
まるで別人のようになることがあるのではないでしょうか。
余裕があるときは、自然に周りを見られます。
頼まれなくても動けるし、相手の変化にも気づける。
言葉にも、少しやさしさがにじみます。
でも、余裕がなくなるとそうはいきません。
自分のことで精一杯になって、
普段なら気にならないことに引っかかったり、
小さなことに反応してしまったりする。
関係性がそこまでできていない場合、
その姿だけを見て、
「あの人は気が利かない」
「あの人は性格が悪い」
と決めつけてしまうことがあります。
ですが今回の体験を通じて、筆者は少し違う見方をするようになりました。
人間力とは、性格そのものではなく、
その人が今、どんな状態にあるかに大きく左右されるのではないか。
よく「あの人は人間力がある」と言います。
でもそれは、特別な才能があるというより、
いい状態で人と向き合えている、ということなのかもしれません。
ここでいう「いい状態」とは、
完璧に整っている状態ではありません。
自然体でいられて、少し余白があり、
必要以上に自分を守らなくていい状態です。
そういうとき、人はやさしくなれます。
視野も広がります。
結果として、それが「人間力があるように見える」のだと思います。
だとすれば、人間力の高い人とは、
いつでも立派な人なのではなく、
いい状態でいられる時間が長い人、
あるいは、崩れてもそこへ戻るのがうまい人なのかもしれません。
今回、筆者が元気になったのも同じです。
何かを足したわけではありません。
ただ、少し乱れていた状態が整って、
本来の自分に戻れただけだったのだと思います。
もしそうなら、大事なのは
人間力を「身につける」こと以上に、
いい状態でいられる時間をどう増やすか
を考えることなのだと思います。
どんな人と会うか。
どんな時間を過ごすか。
何をすると、自分の心に余白が戻るのか。
そういうことの積み重ねが、
人との接し方を徐々に変えていくのかもしれません。