栄木の”ひとり言”

【第181号】心は蛇蝎(だかつ)のごとくなり

悪性(あくしょう)さらにやめがたし
こころは蛇蝎(だかつ)のごとくなり

これは、浄土真宗の開祖・親鸞が晩年に語った言葉です。
意味合いとしては以下の通りとなります。

「悪性(あくしょう)さらにやめがたし」
直訳は、「人間の悪い性質は容易には止められない」というものです。
文明は進歩しています。ですが、人の「心」は進歩しているか…と言われると疑問符がつきます。
ただ、これは普遍的な意味合いだけではなく、「個々人の悪性」も指します。
例えば、「人の悪口を言う」という癖を持った人は、それが自分の中では良くないと思っていながらも、それを直すことは容易ではないです。
一人ひとりが、それを自覚しているかどうかは別にして、「悪性」を持ち合わせています。

「こころは蛇蝎(だかつ)のごとくなり」
直訳は、「心というものは、蛇や木食い虫のようにまとわりつく」というものです。
つまり、何かを悟ったように思っても、また、いつもの良くない自分が顔を出す…と言った意味合いです。
この言葉を、晩年の親鸞が言ったことに奥深さがあると思います。
親鸞自身、晩年も自身の心と葛藤していたことがうかがえます。

なぜ、今回の格言をコラムにしようと思ったのかと言うと、筆者自身も、「『行っては戻って』の繰り返しをしているな」「変わりたくても変われない」と思うことが様々あるからです。

Mr.Childrenの「名もなき詩」で、
「知らぬ間に築いてた、自分らしさの檻でもがいているなら、誰だってそう、僕だってそうなんだ」
というフレーズがありますが、これは本当に身に沁みます。

人間の心は本能的に自己中心的で、自分の欲求や利益を最優先に置く傾向があります。

この「エゴ(私欲)」の追求は、利己的で刹那的な行動、さらには他者への軽視や攻撃性へとつながります。
このような心の自然な傾向は、人間関係の複雑化や社会的な不和を引き起こす原因となります。
例えば、職場や家庭内の衝突、社会的な不平等、さらには国際的な紛争の背景にも、このような心の動きが見て取れます。
個人的なレベルでは、不安、ストレス、孤立感の増大といった精神的な問題をもたらすことがあります。

ここまで、悪癖のネガティブな側面だけ書き連ねましたが、 人の心に内在する悪性を自覚することは、自己改善と社会的調和を促進する上で重要と感じます。
自己の内面に潜む悪性を認め、それに直面することで、人はより自己認識が高まり、感情や行動のコントロールを学ぶことができます。
この自己認識は、個人の成長、寛容な態度の育成、そして周囲の人々への思いやりを促す基盤になると言われています。

さらに、悪性の認識は、他者をより深く理解し、共感する能力を高めてくれます。
他人の行動や感情が、同じような内面の葛藤から生じることを理解することで、私たちはより寛容で、支え合える社会を構築することができるようになってくると考えます。