栄木の”ひとり言”

【第164号】究極のタイパとは?

ここ最近「タイパ」という言葉をよく耳にするようになりました。

「タイムパフォーマンス」の略で、「短い時間でどれだけの効果・満足度を得られるか」という視点を意味します。

ネット回線の高速化、ショート動画、倍速再生、略語表現、コミュニケーションの簡略化…
様々な場面で効率化や短縮化が進んでいます。
それが、「タイパ」という概念を生み出したのだと思います。

そのほかにも、アニメや漫画のストーリー展開も昔に比べて早くなったように思います。
曲も以前よりも間違いなくアップテンポになっていると思います。
(1990年代に一世を風靡した「小室サウンド」が今やスローに感じます。)
さらには、YouTubeやNetflixなどの普及により、多くの魅力的なコンテンツを数多く見られるようになり、いくら時間があっても見切れないくらいのコンテンツで溢れています。

これらの現象も「タイパ」に拍車をかけているように思います。

なるべく早く、少しでも時間短縮して…
なるべく無駄は減らして、少しでも効率的に…
筆者にもそのような欲求はあります。

そもそも、なぜ、人は「タイパ」を重視するのでしょう?

きっと多くの人はこう答えるでしょう。
「無駄なことをしていたら、時間がもったいない(Time is money の感覚)」
「そうしないと、早く正解にたどり着けない」
「時間密度の濃い人生が幸せにつながる」

しかし、「タイパ」を重視すればするほど、真の意味での「タイパ」は悪くなっていきます。

これは一体どういうことでしょう?

例えば、「タイパ」を重視するあまり、効率だけを重視するコミュニケーションになれば、人間関係のトラブルを招くことがあります。
しかし、人間関係を「煩わしい」ものと思って避けようとしても、これらのネガティブな感情からは逃れることができません。
これは「タイパ」が悪くなることの最たる例です。

また、「タイパ」を重視して、多くの情報を同時に得たとしましょう。
たとえ情報をたくさん得たとしても、どんどん情報が上書きされていきます。
情報を「味わう」のではなく、「消費する」感覚です。
「味わうことができる感覚の喪失」という点では、これも、「タイパ」が悪いと言わざるを得ません。

さらには「タイパ」を重視すればするほど、先を急ごうとするあまり「焦り」の感覚がついて回ってきます。
すると、心を落ち着けて、一つのことにじっくり物事に取り組むことができなくなります。
注意が散漫になり、何かが気になるとすぐ別のものに手を出してしまうことになります。
そして、「焦り」の感情は呼吸を浅くします。
浅い呼吸は、酸素不足により血流を悪くするので、健康を害することにもつながります。

人生の満足度を高めるために「タイパ」を重視すればするほど、皮肉にも、人生の満足度を下げてしまう結果になります。

では、「究極のタイパ」とは、一体どういうことなんでしょう?

それは逆説的ですが、「タイパを意識しない生活を取り入れてみる」ことと筆者は考えます。
いわば、「一見、無駄で遠回りなことをしてみる」ことです。

例えば、私たちは、コンビニやスーパーのレジに並ぶとき、少しでも待ち時間の少ないほうに並ぼうとします。
それをあえて、「待ち時間の多いほう」に並ぶのです。
現代人の感覚からすると「それはありえない」かもしれませんが、実際にやってみると、いかに自分が「タイパ」に囚われていたかに気づくはずです。
そして、「あえて待つ」ことによって、「待たされることによる『焦り』『イライラ』『怒り』」といったネガティブ感情も消えていることに実感できるはずです。
この、「タイパが悪く、一見遠回りなことをする」行動は様々な場面に応用できます。

「タイパ」を重視することの根底にある感覚は、「無駄なことはしたくない」「すき間時間(暇)を埋め合わせたい」というものです。
だからこそ、あえてその逆の行動を取ってみると良いでしょう。
ゆっくり歩いてみる、食事のときにスマホに触れずただ味わう、電車の中ではぼーっと景色を眺めてみる…などです。
心に「余裕」が生まれてきます。
最近は「心に余裕がない」という人が増えているように感じますが、その状態に貶めているのは、誰でもない「自分」であることに気づくはずです。

さらには、「一見何の得にもならないようなこと」にトライしてみてはいかがでしょう。
ビートたけしさんは、「トイレ掃除」を心掛けているそうです。
公衆便所に行ったときなども、人知れず隣のトイレも一緒に掃除しているそうです。
これは一見すると、なんの儲けにもなりませんし、誰にも褒められるわけじゃないですから、「タイパ」が悪いですよね。
ですが、たけしさんは「自分は運がいい方だと思う。」と言っていました。
その理由を、「日常の心がけ」に紐づけていました。
「自分が得ることばかり考えず、他者に施すことを考える」という心がけです。
一見、タイパの悪い行動が、「運」を引き寄せていたのです。

「究極のタイパ」とは、「短期的な人生の満足度を高めること」ではありません。
「一見、無意味なものでも、中長期的に見れば、本人の充実感や幸福感をもたらす行動」を指します。

かくいう筆者も、ガラケーには戻れませんし、30年前のパソコンやネット環境ではもう仕事になりません。
ですから、世間的な「タイパ」の恩恵は受けていますし、どっぷり「タイパ」の概念に染まっています。
ここで申し上げたいことは、無意識に染み付いてしまっている「タイパ」の弊害を自覚し、少しでもバランスを取り戻していくことが人生の満足度を高めることにつながる…ということです。