栄木の”ひとり言”

【第163号】「〇〇がなくても、できることはなんだろう?」

ここ最近、「AI」という言葉を耳にしない日はないくらいに、AI技術が世の中に普及しています。
この先、どんどんAI技術は進化して、ますます私たちの日常生活の中に入り込んでくるでしょう。

時代が変われば、価値観も変わってくるもの。
歴史や伝統のある有名企業ではなく、時代の最先端を行くIT企業やAIベンチャーを選択するという若者も増えてきました。

近未来は、大半の仕事がAIに置き換えらえる…とも言われています。
ですから、今のうちに少しでもAIに関する知見(ナレッジ)を蓄えておきたい…と思う気持ちは理解できます。

その一方で、私たち現代人は、AIに限らず様々なものに煽られて、「希望」よりも「不安」が増幅している気がします。

お金への不安、健康への不安、孤独への不安、将来のキャリアへの不安、老後への不安…。

例えば、「積立NISA」が最近流行っているようですが、これも自分の意志で加入する…というよりかは、「周りがやっていて自分だけやっていないのは不安」「少しでも蓄えておかないと不安」といった感覚から加入する人が多いようにも感じます。

いわば、「〇〇がないと不安」といった感覚が、日本社会を覆っているように感じます。

すると、自分が本当にやりたいわけではないのに、「不安だから」「少しでも安心しておきたいから」という理由で、行動を選択する…ということにもつながっていきます。
それが、「気がかり」や「漠然とした不安」がデフォルトモード(通常の心理状態)につながり、慢性的なストレスを生み出し、自分自身の首を絞めてしまうことにもなりかねません。

だからこそ、筆者はこの風潮に一石を投じたいと思っています。

それは、

「〇〇がなくても、できることはなんだろう?」

という問いを持つことです。

たとえば、「お金」がなくてもできることは何でしょう?

たくさんありますよね。
呼吸すること、空を見上げること、散歩すること、寝ること、誰かと話すこと、ふれ合うこと、体を動かして遊ぶこと…。
これだけでも、人生豊かに生きられそうです。

では、「インターネット」がなくてもできることは何でしょう?

昔はこれが当たり前でした。
直接会わないと遊べませんでしたから、そこから対人関係スキルを学べました。
確かに、インターネットがあることによる恩恵は多々ありますが、無いなら無いなりに生きていけますし、むしろ、ネットに時間を奪われることも減り、本当に大事なことに時間を費やせるかもしれません。

他にも「〇〇がなくても…」という問いはありますが、今日の冒頭に絡めて最後の質問です。

「AI」がなくてもできることは何でしょう?

過去から現在において、すでに私たちはそれを実践しています。
今まで私たちが「AIのない世界」で生きてきた通り、別に無くても生きていける…ということです。

誤解の無いように申し上げると、筆者はAIやITを否定しているわけではありません。
世の中の「常識」に煽られて不安になる必要はないということを伝えたいだけです。

反対に、私たちが生きていく上で欠かせないのは、
太陽・空気・水・大地・緑・火・動植物といった、きわめて原始的なものであります。
これらにどれだけ私たちは感謝と敬意を払うことができているでしょう。

そして、人生に彩りを加えてくれる上で欠かせないのが「仲間」です。

皮肉にも、私たち現代人は「常識」に煽られ、「不安」が先行し、自分が生き残ることだけに躍起になってしまっているように感じます。
最近だと、「過度な健康ブーム」「整形ブーム」「自分ファーストなキャリア志向」「積立NISAブーム」などにもそれを見て取れます。
それが結果として、本当に大事なことを見失わせしまっている気がしてなりません。

だからこそ、今を生きる人には、
「常識」に幻惑されず、「〇〇がなくても、自分にできることは何か?」を考え、主体的であってほしいと願います。
それは、常識ではなく、「良識」や「道理」に従って生きることにもつながっていきます。

それが結果として、世の中に活気を取り戻すと思います。