
ラグビーW杯を通じて、ラグビーの試合をご覧になっている方は多いと思います。
激しいコンタクトスポーツのラグビー。
試合を見ていると、選手たちは痛そうで、苦しそうで、よくもまぁこんな試合続けられるなぁ…と思う方も多いのではないでしょうか。
筆者も高校3年間、ラグビー部に所属していました。
実際に痛かったですし、辛かったですし、ケガが絶えず、骨折もしました。
ただ、そこで一つ学んだ人生訓があります。
「人生、苦しくて当たり前」
一見ネガティブな響きの言葉に聞こえますが、
実は、私たちに「生きる力」を与えてくれる言葉と筆者は感じています。
ラグビーに限らず、どのスポーツでも言えることではありますが、
痛い、苦しい、辛い…といった経験はつきまといます。
そこには、挫折感、敗北感、劣等感、自身の存在理由の無さ…など精神的苦痛も含まれます。
スポーツに「楽しさ」だけを求めると、到底続きません。
これは人生においても同じことが言えます。
人生に「楽しみ」を求めることは結構なことです。
例えば「身近な楽しみ」であれば、趣味、食事、ネット、ゲーム、観戦、旅行などがそれに当たるでしょう。
「好きなことで生きていく」
YouTubeのキャッチコピーは、多くの人に「憧れ」を抱かせます。
一方で、好きなことや楽しいことだけを優先することは、裏を返すと、
「嫌なことはやりたくない」
「苦痛はなるべく避けたい」
「少しでもラクしたい」
という心のあり方につながります。
実は、人間の「本当の苦しみ」の原因はここにあります。
「嫌な仕事なのに、やらされている」
「嫌な人たちと関わりたくないのに、関わらざるを得ない」
「少しでもラクしたいのに、ラクできない」
こういった「逃れたい、でもそうならない」という状況が続くと、
人はストレスに感じ、自分自身を苦しめてしまいます。
そして、ジワジワと心身を蝕んでいきます。
まさに「病は気から」です。
「苦しみ」は、誰かによってもたらされるのではなく、
自分の心が生み出しているわけです。
この事実を理解すれば、
「人生、苦しくて当たり前」
という「心の置きどころ」であることは、ポジティブに生きる上でとても理にかなっていると感じます。
なぜなら、「苦労を買って出る」ことにもつながりますし、
苦しさの向こうにある「達成感」「充実感」を味わうこともできるからです。
さらには、与えられていることや恵みに対する「感謝の念」も湧き起こりやすくなります。
「登山」に例えるとイメージは持ちやすいと思います。
さらには、思い通りにならない人間関係や出来事があっても、
「人生、苦しくて当たり前」と言う心の置きどころでいることが、「現実を受け容れる」姿勢につながります。
また、仮に現実を受け容れられないとしても、現実に「挑む」姿勢は保たれます。
試合に起用されず、解雇されたとしても、自暴自棄にならず挑戦を続ける選手をイメージすると分かりやすいでしょう。
筆者が新入社員の頃の上司とのやりとりで今でも覚えていることがあります。
「仕事を楽しみたいです」
と言った当時の筆者に対して、
上司はこう言いました。
「何言ってるんだ。
仕事なんて大変に決まってるだろ。
だからこそ、世の中も自分も大きく変えられるんだよ。」
この言葉のおかげで、仕事に対する心の置きどころ(=マインドセット)は保たれていると感じます。
「人生、苦しくて当たり前」
逆説的ですが、この「心の置きどころ」でいることが、
自制心や自律心を育み、迷いを断ち切り、人生に充実感や楽しさをもたらすと筆者は感じます。