
読者のみなさまは、自分を「ひと言」で表すとしたら、それは何ですか?
筆者は、自分をひと言で表すとしたら、
それは「臆病者」です。
筆者を知る人からは、
「いやいや何言っているの?」
「オマエほど大胆な奴はいないよ」
と言われそうです。
伴侶からは、
「は?何をもってそう言ってんの? 臆病者じゃなく『自由人』でしょ」
と言われました。
確かに、「自由」な側面もありますが…、元来は「ビビり(臆病者)」です。
人見知りなところ、
奥手なところ、
身体的な痛みを避けようとするところ、
何をするにも億劫に思ってしまうところ、
安易な道に逃げ込んでしまうところ、
このどれもが筆者に当てはまります。
ただ、筆者ほどまでは行かなくても、
人間、誰しもこんな性質があると思います。
それは…
「厳しい方より、ラクな方を選びがちなところ」
「面倒なことより、簡単な方を選びがちなところ」
「挑戦よりも、安定を選びがちなところ」
です。
人間の性質を「性〇説」として置き換えるなら、
筆者は、「性善説」でも「性悪説」でもなく、「性弱説」に立ちます。
筆者自身、「克己(こっき)」という言葉を心に据えて生活を送ること、かれこれ30年ほど経ちますが、「いかに自分に克つことが難しいか」を思い知らされる日々です。
自分に打ち克つために、「自分との約束」を課していますが、気分や誘惑に負けてしまうことが多いですし、「ビビり」な自分が発動して、行動を起こせないことも多々あります。
ゆえに「己の弱さ」を自覚しています。
だからこそ、世の中の良からぬニュースを見ても、
「悪」よりも、人間の持つ「心の弱さ」がそうさせているのだと感じます。
筆者の好きな言葉に、
「弱さの自覚こそ、強さへの一歩」というものがあります。
己の弱さを直視して、克服しようとする気持ちや行動が己を強くしていく…というものです。
たとえば、「整理整頓」一つとってもそうです。
「面倒くさいな…と思った自分を自覚して、あえて行動を起こしていく」といったものです。
「凡事徹底」の意味は「弱さの克服」にあると思っています。
そうすることで、「易きに流れる自分」よりも、「行動を起こす自分」が勝っていく…といったものです。
その逆もしかりです。
一日の中で、「ラクな選択」を重ねていれば、「易きに流れる自分」ばかりが膨らんでいき、結局何もできなかったり、他人に強制されなければ行動できない自分になってしまいます。
「他者の奴隷」になることは誰も望んではいないでしょう。
ですが、「易きに流れる自分」や「現実逃避する自分」が、結果として自身を「他者の奴隷」にさせている、という理屈はあながち間違っていないと思います。
皮肉にも、文明が進化すればするほど、人間は弱くなっていっていると感じます。
人間、自然界をたくましく生きている野生動物に比べたら、つくづく弱い生き物だと思います。
だからこそ、弱いなりに強くあらんとする「自律(自己規律)」の考えがますます大事になってくると思う今日この頃です。