栄木の”ひとり言”

【第136号】父

先日、父が他界しました。
筆者くらいの年齢になれば、遅かれ早かれ誰しも経験することではありますが、やはり思うところはありました。

筆者は小学校の頃に父と離別しており、父とふれ合った記憶があまりありません。
なので、小さい頃は両親がいる家庭と比べては劣等感を覚えていました。
また、「栄木くん家はお父さんいないからね…」とレッテルを貼られることもあり、望んでそうなったのではない境遇を嘆き、父に反発心も抱いていました。

優しいキャラクターで人から好かれ、ギャグを言っては場を和ませていたという父。
一方、そのキャラに甘え、本コラムでは書けないようなことを散々やらかしてきた父。
筆者にとって、そんな父は「反面教師」でした。

筆者が社会人になる頃、久々に「父と会う」ということになりました。
当時は会うことさえ嫌悪感を抱いていた筆者でしたが、それ以上に憂き目に遭った母や姉の「許容」の姿を見て、筆者も父を渋々受け容れました。

それから、半年~1年に1回くらいのペースで家族そろって食事をしました。時には旅行に行くこともありました。
遅ればせながらの「家族団らん」です。

そんな父と最期に会ったのが、今年4月の「古希(こき)祝い」(70歳の祝い)のことでした。
約1年ぶりに会った父は弱々しくなっており、もしかしたらこうして会うのは今回が最後かもな…と思いました。

懇親会の締めくくりに「古希になった今の想いをひと言!」と尋ねたところ、

「古希なだけに、こき使わないでください」

と、渾身(こんしん)のダジャレを言いました。
そして、これが筆者にとっての父の「最期のひと言」になりました。

父を、もし一言で表現するなら、「やさしい人」だったように思います。
それは、長所で言えば「人に好かれること」「他人への気遣い」であったりします。
一方、その「やさしさ」は「易しさ」となり、時として「自分への甘さ」「他者にいいように使われる」ことにもつながっていたように見えました。

「若気の至り」で多くのしくじりをしてきた父。
そして筆者自身、そんな父と同じ道を辿った時期もあり「血は争えないな」と思うことも多々ありました。

そんな父でしたが、死を迎える数日前まで、会社に出勤して仕事をしていたそうです。
容態も悪かったのでしょうが、それを誰にも告げず、最後は自宅のトイレでひっそりと息を引き取っていたとのことです。

「ピンピンコロリで逝きたい」

常々そう言っていた父。
まさに有言実行でした。

親族だけで、ひっそりしめやかに行う予定だった葬儀。
ところが当日は会社関係の方が、続々と弔問に来られました。

「父は愛されていたんだな」

これまでの人生、「父のような生き方はしたくない」とずっと思ってきた筆者。

しかし、その最期の姿を見て「父のような逝き方をしたい」と思い新たにしました。

筆者の幼少期の出来事に対して、父は最後まで「あの時はごめん」と謝ることはありませんでした。(求めもしませんでしたが…)
気持ちを素直に伝えることに、どこか恥じらいを感じていたのでしょう。
悲しいかな(?)その気質は、筆者にも受け継がれています。

だからこそ、面と向かって言えなかった父への「ひと言」を最後にこの場を借りて伝えたいと思います。

父ちゃんの息子で良かったよ。
ありがとう。