
最近、多くの人から「時間がない」「余裕がない」「忙しい」という言葉を聞くようになりました。
商品や情報の流行り廃りも早く、その数や量も膨大な時代において、過去10年で起きていたことが、今は1年単位で起きているとも言われています。
どこか「急き立てられている」というか、「焦り」の感覚に陥りやすいのは筆者だけではないと思います。
そうなってくると、「いかに短時間の中で効率的物事を進めていくか?」という「タイムマネジメント(時間管理)」の考えが大切になってくるとも言われています。
筆者自身も、これまでは「いかに短時間で仕事の成果を高めるか?」という考えのもと、試行錯誤してきました。
しかし、ここ最近は「タイムマネジメント」という考えそのものに、「落とし穴」があることに気づきました。
「スマホやネットが、人々の『注意』や『集中力』を奪う」ということは、昨今よく言われていることであります。
ですが、よくよく考えてみると「『時間』こそが、人々の注意や集中力を奪っている」ことに気づきました。
これは一体どういうことでしょう?
たとえば、読者のみなさまは、一日のうちで時計を何回見ていますか?
筆者は無意識に一日のうちに数えきれないくらいに時計に目をやっていることに気づきました。
そして、時計を見る度に、集中力が途切れます。
いや、集中力が途切れるだけなら良いのですが、
「うわ、もうこれしか時間がない」「もうこんな時間か」など、「焦りの気持ち」が芽生えます。
さらには、集中力が切れて、スマホやメールチェックなどの行為に走らせることも…。
(そして、気が付いたら時間が過ぎてしまう…という悪循環)
「期限」や「〆切」の意識が集中力を高める…ということもあると思います。
それでも、時計を見たり、時間を気にする度に「意識」が入り込み、集中力が一瞬で途切れることはあります。
その他にも、スポーツで試合に勝っているチームが、時間を気にした途端、勝利を意識して守りに入ってしまい、相手チームから攻め込まれ逆転を許してしまう…ということもざらにあります。
筆者のこれまでの経験からすると、
無我夢中で取り組んで、気がついたらあっという間に時間が過ぎていた。
ということが、最も生産性も高く集中力が発揮できていたと実感しています。
そう考えると、時間を気にしない方が、結果として、集中力が高まり「高い成果」につながると言えそうです。
これは「タイムマネジメント(時間管理)」というよりも、「時間と自分が一体化する」というイメージに近いです。
そこにあるのは、ニュートラルな感覚です。
何かに囚われたり、焦りや不安などの意識が入り込んでこない分、シンプルに目の前のことに集中できます。
とはいえ、あらゆる場面で時間の効率化が求められる現代社会において、時間をまったく切り離して考えることはできません。
だからこそ「時計を見ない」ことにはある種の怖さも伴います。
ですが、「時計を見ない」「時間を気にしない」で目の前のことに取り組むという行為そのものが、「時間の効率化」につながることも「真なり」と思います。