
筆者、当コラムで何回か触れていますが、
社会人としてのスタートは「新潟」でした。
当時、縁もゆかりもなく、大学卒業まで一度も東京を離れたことがなかった私にとって「アウェイ」に来た感覚でした。
新潟にいた5年間は失敗と挫折の連続でしたが、一方で、社会人として一人前になるための修行を積ませてもらった場所でもあり、筆者にとっては「第二の故郷」でもあります。
新潟を離れてから20年近く経ちますが、今回、ふと思い立って訪ねてみることにしました。
これまでも何回か訪れたことはありますが、新潟駅に降り立つ度に「初心」というか、「原点」に立ち返る気がします。
東京から、普通列車に揺られていくこと6時間。
せっかくの機会なので車内では、新潟での5年間の経験を振り返ってみました。
「色んなことをやらかしてしまったな~」という思い出ばかりですが、人生の中でも中身の濃い5年間でした。
新潟に降り立つと、いつも思い出す諺があります。
「初心忘るべからず」
「最初のころの志を忘れてはいけない」という意味で使われるのが一般的です。
ただ、本当の意味は、「最初のころの自分の未熟さを忘れるな、拙かったときのことを忘れるな」というものです。
だからこそ、驕り高ぶらずに謙虚でいようという気持ちになれますし、できない人の気持ちになれたりします。
ただ、この諺が真に伝えたいことは別にあります。
それは以下の通りです。
初心のときは削ぎ落される前だったからこそ「あらゆる可能性」があります。
削ぎ落していくうちに角が取れて丸くなっていきますが、可能性をも閉ざしてしまうことにもつながりかねません。
だからこそ、「熟練してもなお、粗削りだった頃の『可能性』までも削ぎ落してしまうな」というものです。
社会人になってから20年以上経ちました。
「新入社員当時の自分」が見たら、「今の自分」を見てホッとすると思います。
「あぁ、何とかまっとうに社会人やっているんだ」と。
それは角が取れて、技能が熟練されたからでしょう。
ですが、一方で「今の自分」はこうも思います。
「まだまだ自分は粗削り」
「だからこそ、あらゆる可能性に満ち溢れている」
というものです。
今、新潟からコラムをしたためていますが、この場所でたくさん怒られながら、転びながらもがいている当時の筆者の姿が思い浮かべられ、今の自分も負けてられないな…!と気持ち新たに思った次第です。