栄木の”ひとり言”

【第282号】「欠けた円」ばかり見てしまう時代に

いきなりですが、みなさまに質問です。

ありがたいと感じることを、パッと10個思い浮かべてみてください。

もう一つ。

60秒だけ目を閉じて、何も思い浮かべずに「無」になってみてください。

筆者は、研修でこの問いを投げかけることがあります。

すると、ほぼ全員の方が、どちらも意外とできません。

ありがたいことを10個挙げることもできない。
60秒、何も考えずにいることもできない。

これは、感謝の気持ちがないという話ではありません。

問題の本質は、現代人の思考の向きにあるのだと思います。

ゲシュタルト心理学でよく使われる「欠けた円」の図があります。

円の一部が欠けていると、私たちの目は、どうしてもその欠けた部分に向かいます。

本当は、円の大部分はすでに存在している。
でも、意識は欠けたところに吸い寄せられる。

これは、私たちの日常にもよく似ています。

できていることより、できていないこと。
持っているものより、足りないもの。
終わったことより、未完了のこと。
解決したことより、未解決のこと。

私たちの頭は、放っておくと「欠けているところ」を探しにいきます。

なぜなら、人間の脳はもともと、危険や不足に気づくようにできているからです。

足りないものに気づく。
異変に気づく。
問題に気づく。

これは、生き延びるために必要な力でした。

現代でも同じです。

仕事では、抜け漏れに気づく人が評価されます。
家庭では、やるべきことに気づく必要があります。
社会では、次々と入ってくる情報に反応し、判断し、処理することが求められます。

つまり、欠けたところに気づく力は、悪いものではありません。

むしろ、現代社会に適応するためには、とても大切な力です。

ただし、問題は、その状態がずっと続いてしまうことです。

常に足りないものを探す。
常に未完了のことを思い出す。
常に次に処理すべきことを考える。

そうなると、心は落ち着く暇がありません。

ありがたいこととは、多くの場合、すでに存在しているものです。

仲間がいること。
働ける場所があること。
支えてくれる人がいること。
今日もご飯を食べられること。
体が動くこと。

でも、欠けたところばかりを見ていると、すでにあるものに想いを馳せることが難しくなります。

「ありがたいことがない」のではありません。

ありがたいことに、意識が向きにくくなっているのです。

60秒、無になることが難しいのも同じです。

目を閉じた瞬間に、いろいろなことが浮かんできます。

あの仕事、どうしよう。
あの人に返信しなきゃ。
あれ、まだ終わっていない。
そういえば、あれも気になる。

私たちの日常は、気になる、処理する。
また気になる、また処理する。
その繰り返しです。

これは、最近起きるさまざまなニュースや、SNS上の反応とも無関係ではないように思います。

何かが起きる。
すぐに誰かが反応する。
すぐに意見が広がる。
すぐに正しさがぶつかり合う。

もちろん、すぐに声を上げるべき場面もあります。
すぐに助けを求めるべき場面もあります。

ただ、私たちの心が常に探索状態になっていると、立ち止まって考える前に処理してしまうことがあります。

立ち止まる前に、反応してしまう。
確かめる前に、決めつけてしまう。
味わう前に、次へ行ってしまう。

ここに、現代人の難しさがあるように思います。

だからこそ、今必要なのは、欠けたところを見つける力だけではありません。

すでにあるものに気づく力。
今、自分が何を感じているのかに気づく力。
すぐに反応せず、いったん立ち止まる力。

感謝とは、無理やりポジティブになることではありません。

すでにあるものに、もう一度ピントを合わせ直すことです。

現代人は、欠けた円の「欠けた部分」を見つける力を高めてきました。

だからこそ、ときどきは、すでに描かれている円の大きさにも目を向けたいところです。

欠けているものを探す目を、少し休ませる。
すでにあるものに、気づく。

そこに、焦りや不安から少し離れるヒントがあるのではないでしょうか。