今週、久しぶりに浅草に戻ってきました。
雨の夜道を歩いていると、思わず足が止まりました。
「え……?」
以前のコラム「車、ぶつけました。」に登場した、あの衝突防止ポールです。
筆者が車をぶつけた、因縁の相手(笑)。
ところが、変わり果てた姿になっていました。
骨折している。
途中から折れ、上には白いビニール袋がかぶせられている。
まるで骨折した人が、白い包帯を巻かれているようです。
筆者がぶつけたときは、こちらの車が傷ついただけで、ポールはびくともしませんでした。
その後、相当ひどい目に遭わされたのでしょう……。
しかも、そのすぐ後ろには今も、
「注意!『衝突防止』ポールあり!」
という看板。
なんとも皮肉です。
衝突防止ポールが、衝突されまくっている。
もはや「衝突防止」ではなく、「衝突ポール」です(笑)。
でも、眺めているうちに少し考えました。
筆者一人がぶつけたのであれば、「運転手が不注意だった」で終わる話です。
でも、その後も誰かがぶつけ、とうとうポールが折れてしまった。
もし同じ場所で、同じことが何度も起きているのなら、本当に、ぶつけた人だけの問題なんでしょうか?
世の中には、こういうものが意外とあります。
なぜか毎回、押すのか引くのか迷うドア。
初めて来た人が必ず迷う駅構内(特に梅田駅…)
残業が絶えない職場。
「注意して」
「出口はこちら」
「早く帰りましょう」
と言い続けても、なかなか直らない。
そんなとき、
「人が悪い」ではなく、「そうなってしまう構造になっていないか?」
と見てみると、景色が少し変わります。
ドアが「押す」ことでしか開かない構造にしてみる。
案内表示を変えたら、誰も迷わなくなるかもしれない。
残業をしたら、残業代ではなく罰金制にする。(←現実的ではありませんが…)
人は、思っている以上に環境や構造に動かされています。
だから、何かが何度も繰り返されているとき、
「またか」
「なんでちゃんとできないんだ」
と思う前に、
一度だけ、
「これ、構造のほうがおかしくない?」
と考えてみる。
人を責めるより、ずっと面白い解決策が見つかるかもしれません。
車をぶつけて学び、
車を売って学び、
今度は、折れたポールから学びました(笑)。
ちなみに、あのポール。
次に浅草へ戻ったとき、どうなっているのか。
ちょっと気になっています。