おかげさまで、このコラムも300号になりました。
節目なので立派なことを書こうかとも思ったのですが、
いつも通り、実体験を通じてありのままに感じたことをしたためたいと思います。
昨日(10/1)、あるプロ野球選手を応援に球場に行きました。
その選手は、惜しくも掲げていた目標には届きませんでした。
筆者も彼を支援してきた立場として、悔しさがこみ上げてきました。
もっとサポートできたのではないか。
違う関わり方があったのではないか。
そんな思いが、頭の中を巡りました。
競技は違いますが、金メダルを目指して、銀メダルに終わったときにも、こうした思いが湧くのかもしれません。
周囲から見れば、銀メダルは素晴らしい成果です。
「おめでとう」「すごいじゃないか」と声をかけられるでしょう。
それでも、本人には「金メダルに届かなかった」という悔しさが残る。
手にした成果よりも、届かなかったところに意識が向く。
目指していた姿と、目の前の現実。
その「ズレ」が、心を揺らすのだと思います。
こうしたズレは、日常にもたくさんあります。
目標に、あと一歩届かなかった。
恋愛が成就しなかった。
よかれと思って伝えたのに、相手には違う意味で受け取られた。
360度フィードバックで、周囲から思いもよらぬ指摘があった。
大切な日に、体調が整わなかった。
「こうあってほしい」と思うほど、現実とのズレは気になるものです。
未解決、未解消、未完了のものとして、頭から離れない。
早く何とかしたい。こんな状態ではいけない。
そう感じることもあるでしょう。
ただ、ズレを感じたとき、そこには一つの分かれ道があると思うのです。
それは、ズレをどう解釈するかです。
「こんなはずではなかった」
「あの人さえ、ちゃんとしてくれれば」
「どうして自分は、いつもこうなのか」
過去を悔やんだり、誰かを責めたり、自分を否定したりする。
その気持ちは、筆者にもよく分かります。
でも、そこにとどまっている間は、次の行動に向ける力も時間も少なくなってしまいます。
一方で、こんな受け止め方もできます。
「思い通りにいかないことはある。今、ここにズレがある。では、ここからどうしようか」
対人関係であれば、お互いの前提や期待が違うのは自然なことです。
自分は何を当たり前だと思っていたのか。
どんな関わり方をしていたのか。
相手の言動に、自分はどう反応したのか。
そこを確かめ、相手の考えも聴きながら、関わり方を調整していく。
体調であれば、不調な日があることを認める。
必要な手当てや休息を取りながら、不調な状態でできるベストを考える。
目標に届かなかったのであれば、その中でも達成できたことを見つめる。
届かなかった部分から、伸びしろを探す。
そして、明日から変えられることを一つ決める。
もちろん、悔しさを無理に消す必要はありません。
悔しさが湧くことまで「いけない」と捉えれば、さらに自分を苦しめてしまいます。
金メダルを目指していたからこそ、悔しい。
その気持ちを抱きながら、銀メダルを獲得するまでに積み重ねたことにも目を向ける。
銀メダルだった現実を受け入れることは、次の金メダルをあきらめることではありません。
今の到達点を認めるからこそ、次に取り組むことが見えてきます。
筆者自身、今回の悔しさを感じながら、問い直したいと思っています。
これまでの支援で、役に立てたことは何か。
本人に確かめなければ分からないことは何か。
これから、どんな関わりができるのか。
ズレは、これからも生まれるでしょう。
そのたびに、現実を引き受け、自分の関わり方を調整して、一歩を踏み出す。
金メダルに届かなかった経験を、次の成長につなげられるか。
その分かれ道は、ズレをどう受け止め、そこから何をするかにあるのだと思います。