栄木の”ひとり言”

【第297号】ポール、折れてました。

今週、久しぶりに浅草に戻ってきました。

雨の夜道を歩いていると、思わず足が止まりました。

「え……?」

以前のコラム「車、ぶつけました。」に登場した、あの衝突防止ポールです。

筆者が車をぶつけた、因縁の相手(笑)。

ところが、変わり果てた姿になっていました。

骨折している。

途中から折れ、上には白いビニール袋がかぶせられている。

まるで骨折した人が、白い包帯を巻かれているようです。

筆者がぶつけたときは、こちらの車が傷ついただけで、ポールはびくともしませんでした。

その後、相当ひどい目に遭わされたのでしょう……。

しかも、そのすぐ後ろには今も、

「注意!『衝突防止』ポールあり!」

という看板。

なんとも皮肉です。

衝突防止ポールが、衝突されまくっている。

もはや「衝突防止」ではなく、「衝突ポール」です(笑)。

でも、眺めているうちに少し考えました。

筆者一人がぶつけたのであれば、「運転手が不注意だった」で終わる話です。

でも、その後も誰かがぶつけ、とうとうポールが折れてしまった。

もし同じ場所で、同じことが何度も起きているのなら、本当に、ぶつけた人だけの問題なんでしょうか?

世の中には、こういうものが意外とあります。

なぜか毎回、押すのか引くのか迷うドア。
初めて来た人が必ず迷う駅構内(特に梅田駅…)
残業が絶えない職場。

「注意して」
「出口はこちら」
「早く帰りましょう」

と言い続けても、なかなか直らない。

そんなとき、

「人が悪い」ではなく、「そうなってしまう構造になっていないか?」

と見てみると、景色が少し変わります。

ドアが「押す」ことでしか開かない構造にしてみる。
案内表示を変えたら、誰も迷わなくなるかもしれない。
残業をしたら、残業代ではなく罰金制にする。(←現実的ではありませんが…)

人は、思っている以上に環境や構造に動かされています。

だから、何かが何度も繰り返されているとき、

「またか」
「なんでちゃんとできないんだ」

と思う前に、

一度だけ、

「これ、構造のほうがおかしくない?」

と考えてみる。

人を責めるより、ずっと面白い解決策が見つかるかもしれません。

車をぶつけて学び、

車を売って学び、

今度は、折れたポールから学びました(笑)。

ちなみに、あのポール。

次に浅草へ戻ったとき、どうなっているのか。

ちょっと気になっています。