管理職研修では、上司の部下に対する関わり方を取り上げることがよくあります。
そこで、しばしば話題になるのが、「いいからやれ」という言葉。
筆者が若かりしころは、何回上司から言われたことでしょう。
「今の若い人たちは、頭で理解して納得しないと動きませんよ」
「一方的に指示しても、なぜそれをやる必要があるんですか? と聞き返されてしまいます」
なるほど。確かにその通りだと思います。
上司が高圧的に「いいからやれ!」と命令すれば、メンバーは反発するでしょう。
納得感を大切にすることも、自律性を引き出すことも、今のマネジメントには欠かせません。
でも、最近ふと思ったことがあります。
「いいからやれ」って、そんなに悪い言葉なんだろうか?
もちろん、他人から一方的に言われるのは筆者も嫌です。
でも、自分自身に向かって「いいからやれ!」と命令することには、意外と大きな効用があるんじゃないかと。
というのも、人間は、頭が働けば働くほど、やらない理由を見つけるのが天才的にうまい生き物だからです。
「失敗したらどうしよう」
「今じゃなくてもいいんじゃないか」
「もう少し準備してからにしよう」
「条件が揃ってからにしよう」
しかも、どれもそれなりに筋が通っている。
慎重に考えているつもりが、いつの間にか、行動しないための理由探しになっていたりする。
そんなとき、自分に言い聞かせる言葉が、
「いいからやれ!」
すると、不思議なことが起きます。
面倒くさいと思っていたことも、始めてみれば意外と簡単だったりする。
気が進まなかったことも、やってみたら案外楽しかったりする。
失敗したとしても、思いがけない発見があったりする。
つまり、行動する前には想像できなかったことが、行動した後には見えてくる。
ここが面白いところです。
私たちは「納得してから行動する」ことを大切にしますが、
「行動したからこそ納得できる」ことも、実はたくさんあるのではないでしょうか。
これは、今日一日の行動だけではなく、人生の視点でも同じことが言えると思います。
人生を長い目で見たとき、失敗することよりも、ためらって行動しなかったことの方が、意外と大きな損失になるんじゃないかと。
「もっと〇〇しておけばよかった」と。
失敗した損失は目に見えます。
でも、行動しなかったことで逃してしまった出会いや経験、可能性は、なかなか目に見えません。
もちろん、何でも考えずにやればいいという話ではありません。
大きなリスクを伴うことには慎重な判断が必要ですし、やらないという決断が正しいこともあります。
ただ、やった方がいいと分かっているのに、気分が乗らない。不安がある。面倒くさい。
そんなときまで、自分の気分に従う必要があるのでしょうか。
「やりたくない」「不安だ」「どうしよう」という気分がでてきたときこそ、
「いいからやれ!」と自分に命令したい。
最近、そんなふうに思うようになりました。
上司からの「いいからやれ!」は、できれば遠慮したい。
でも、自分自身への「いいからやれ!」は、もっと積極的に使ってみてもいい。
考えすぎて動けなくなった自分の背中を、最後に押してくれるのは、案外そんなシンプルな一言なのかもしれません。