栄木の”ひとり言”

【第299号】「とにかくレベルが低いんです」

先日、管理職向けの研修で、メンバーへの対応にかなり手を焼いている方がいました。

「とにかくレベルが低いんです」
「小学生レベルですよ」

具体的に話を聞いてみると、確かに頭を抱えたくなるような話が次々と出てきます。

何度伝えても同じミスをする。
自分で考えない。質問もしてこない。

正直、その管理職の方の苦労が気の毒に思えました。

ただ、話を聞きながら、もう一つ気になったことがありました。

メンバーの話をするときの、その方のまなざしです。

声色。表情。ちょっとした間。

言葉そのものではなく、そこから「蔑(さげす)み」のようなものを感じたのです。

もしかすると、メンバーも日々それを感じ取っているのかもしれません。

これは、「もっと優しい言い方をしましょう」という話ではありません。

少しくらいきついことを言われても、そこに愛情や親しみを感じることはあります。
いじられて笑い合えるのも、根っこに「あなたのことをちゃんと見ていますよ」という関係があるからでしょう。

反対に、どれだけ丁寧な言葉を使っていても、

「あなたは大した人ではない」
「まともに相手をするほどではないのに、なんで自分がこんなに足を引っ張られるんだ」

そんな気持ちは、案外伝わってしまいます。

筆者にも似たような経験があります。

以前、月に一度、土曜日に参加していた勉強会がありました。
いつからか、その土曜日が憂鬱になりました。
何かひどいことを言われたわけではありません。

ただ、どこか「のけ者」にされている感じがする。
こちらが話しても、あまり興味を持ってもらえていない感じがする。

相手にそんなつもりはなかったのかもしれません。

でも、受け手というのは、意外とこういうところに敏感です。

そして、やっかいなのは、「相手を下に見る感覚」が、一部の嫌な人だけのものではないことです。

学歴。年収。役職。会社名。肩書き。これまでの実績。
自分が努力して手に入れたものほど、誇りになります。
それ自体は、悪いことではありません。

ただ筆者は、自分が強くこだわっているものほど、人を見るときの物差しにもなりやすいと思っています。

例えば、何年も努力して、念願の難関大学に合格したとします。
その人にとって大学名は、単なる経歴ではありません。
頑張ってきた自分の証でもあるでしょう。
だからこそ、学歴を大切にする。

ただ、それが強くなりすぎると、いつの間にか出身大学で相手を見てしまうこともある。

自分の誇りだったものが、人の上下を決める物差しに変わってしまうのです。

これは学歴に限りません。

「自分はこれだけ稼いできた。仕事で実績を残してきた。」
「自分は現場で叩き上げてきた。誰よりも努力をしてきた。」
「自分はこんないい場所に住んでいる。いい車に乗っている。」

そして、いつの間にか、
「自分は、あの人たちとは違う」
と線を引き始める。

筆者自身にも、そういうところはあると自覚しています。
だから、「人を見下すなんて、けしからん」と誰かを責めたいわけではありません。
むしろ、自分にもそうした感覚が出てくることを知っておきたいのです。

何かを誇りに思うことと、その物差しで相手を扱うことは、別の話です。

ある運送会社の先代社長は、
「従業員やドライバーの支えがあってこそ、この会社は成り立っている」
と考えていたそうです。
その心根は、きっと日々の接し方にも表れていたのでしょう。

ところが代が替わってから、どうもドライバーを下に見るような空気が出てきた、と聞きました。
組織のひずみは、意外にこんなところから生まれてくるものです。

「自分が使っている人」と見るのか。
「この人たちに支えてもらっている」と見るのか。

同じ仕事をお願いしていても、そのまなざしは違うのでしょう。

仕事の出来に差はあります。
求める水準を下げる必要もありません。

ただ、仕事の評価と、人として大切に扱うことは別です。

まなざし。
いたわり。
あたたかみ。

リスペクトというのは、きれいな言葉を使うことではなく、相手をどう見ているか、そのものなのかもしれません。

そしてそれは、思っている以上に相手に伝わっています。

「今、自分はこの人を、どんなまなざしで見ているだろう?」

人と力を合わせて仕事をするために、時々そんな問いを、自分自身に向けてみたいと思います。